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クルマの誕生と「移動」の革命【トヨタ博物館】(8)

文化館の重要なテーマの一つは、「移動は文化(Mobility and culture)」です。「移動」は文化をはぐくみ、文化は「移動」をいざなう(Mobility fosters culture, andf culture encourages mobility)という言葉が館内に掲げられています。

自動車誕生以前にも世界中の人々は「移動」していましたが、「クルマ」の発明によって私たちの「移動」はどう変わっていったか。文化館とクルマ館の実際の展示物を移動しながら見て感じとって行くことができます。
今日、さまざまな領域で「移動」は新たな局面を迎えています。トヨタ博物館で、歴史を振り返って「移動」について静かに思いを巡らしてみてはどうでしょう。

キュニョーの砲車は、現在「世界初の自動車と認定」されています。よって世界的に、1769年が<自動車誕生の年>となっています。
ルイ15世の統治下、フランス陸軍砲兵部隊のために軍事技術者ニコラ=ジョセフ・キュニョー(Nicolas-Joseph Cugnot)に製作された三輪蒸気自動車。人が乗り運転し、蒸気動力で人を運んだ最初の乗り物です。

1886年につくられたガソリン自動車の第一号と言われるベンツの三輪車(レプリカ)。ハンドルは輪ではなく上に伸びた棒ハンドル。時速15km走行。

日本に初渡来した最初の自動車がフランスのパナール エ ルヴァッソール 1896年製作  その2年後の1898年に日本に初渡来。その時の写真が掲載された写真がフランスの自動車雑誌に掲載されています。日本に新たな「移動」の形、<移動の文化>がもたらされました。

人力車(Rickshow) JAPAN
明治2年に日本人によって開発され、最初に日本橋の袂に3台置かれました。もはや馬車でなく人に引っ張ってもらい狭い路地でも手軽に「移動」できることから全国的に普及。
東南アジア中心に各地にも輸出されリクシャーやトゥクトゥクへと進化していきます。
アジア各地でも人の「移動」への欲求が高まっていました。人が集まりアイデアや意見が交換され新たな文化が準備されていくことになります。なんと明治から大正末頃までなんと半世紀近く日本の道を走り続けました。

山羽式蒸気自動車(Yamaba’s Steam Car) 1904年 明治37年
日本にクルマが初渡来しわずか6年後。日本初の国産自動車が誕生しています。10人乗りの蒸気自動車でした。前年の勧業博覧会の出品車に刺激を受けた岡山県の実業家が、同県の電気技師・山羽虎夫に依頼し製作された。縮尺模型

ランチェスター Lanchester 1904 イギリス

英国初の純国産のガソリン自動車。振動を抑えるためのユニークな機構のエンジンが開発された。より快適な「移動」のクルマへと各国のメーカーが舵を切っていった。

日本最初のガソリン車である国産吉田式タクリー号(The Yoshida-shiki Takuri 1907年 明治40年)。「自動車の宮様」と言われた有栖川威仁(タケヒト)親王の命を受け実業家の吉田眞太郎と技師が完成させたもの。縮尺模型

ベイカー エレクトリック(Baker Electric)1902年

米国ではガソリン自動車普及しても、長い間、電気自動車がつくられていたといいます。このクルマは充電1回ですでに80km走行可能で、1馬力モーターで時速も40km。
またクランクハンドル一本で、危険で煩わしいエンジン始動作業ができ、排気ガスの臭気もなくご婦人に好まれたクルマだったとのこと。

プジョー べべ (Peugeot Bebe)1913 フランス
2人乗りの小型車。家族や大人数でなく、2人で「移動」したい。フランス人らしい日常が「移動」するクルマで体現された。
早くから大衆向け小型車を開発していたのがプジョーだった。エットーレ・ブガッティの設計。小型エンジン搭載。

トヨペット クラウン RS型 1955年
海外との技術提携なしで開発され日本の自動車業界に大きな自信をもたらしたクルマが、クラウンの初代モデル。トヨダAA型(1936年発売)と共に、トヨペット クラウンRS型は、博物館内の特別雛壇に展示されている。ドアは観音開きとなっており日本文化の遺伝子が取り入れられ斬新であった。新たな「移動」に、トヨタならではの「優れた乗り心地」と「耐久性」がくわわることになった。

トヨタ ランド クルーザー FJ25L型 1957年
悪路、山岳地帯、砂漠と世界中のどんな過酷な環境でも「移動」でき丈夫で走破性は群を抜く。ジープタイプの4輪駆動車。このモデルからトヨタの本格的な海外輸出が始まったとされるシンボリックなクルマである。舗装された道ではないどんな場所をも走破、「移動」したい人間の夢や欲望を叶えたクルマで、戦争時ではない海外の幅広の需要を掘り起こした。

モーリス ミニ マイナー(Morris Mini-Minor)1959年 イギリス
アメリカと異なりイギリスでは、特に狭い街中で「移動」し「駐車」するために小さなクルマが開拓されていった。「移動」は地方でも街中でも中心課題に。博物館の平田雅己さんによれば、時代背景的にはスエズ動乱の影響で、経済的なクルマの開発が必要となっていたとのこと。
このクルマの設計思想は、”Smaller outside, Bigger inside”。横置きエンジン、前輪駆動、2ボックススタイルの画期的自動車で、後の小型車開発に影響を与えたといいます。

ミニの隣に設けられたミニだけがコレクションされたミニカーブース。左奥にMr.ビーンが愛用したミニのBoxがある。右奥にビートルズ仕様のスペシャル・ミニBox。

ミニは、何と言っても階級社会の英国において、エリザベス女王やビートルズのメンバーも愛用したことから、クルマのヒエラルキーを覆したともいわれているようです。(平田雅己)

この記事を書いた人
1960年 長久手生まれ。上郷保育園、長久手小学校、長久手中学校へ。菊里高校、青山学院大学英米文学科卒。英字新聞部「青山トロージャン」所属。編集プロダクションのMatsuoka & Associatesにて学び、編集工学研究所入所。 1990年、洋書写真集・美術書をリースするArt Bird Books設立、1992年中目黒駅前に店舗を構える。2009年から代官山蔦屋書店にて主に写真集のブックコンシェルジェとして勤務。2020年、Uターンで地元長久手に戻る。 『Canon Photo Circle』誌の写真集コラムを1年間連載後、「長久手タイムズ」を始動。

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