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[長久手タイムズ]長久手の石と名古屋城の石垣とのちょっとした関係

名古屋城の石垣には、長久手から採れた石材が幾らか用いられていることが長久手の郷土史研究から分かってきました。
江戸初期に徳川家康が外様大名に命じ(加藤清正が陣頭指揮)、姫路城より巨大な城を造らせました。石材は、おもに篠島など三河湾沿岸、小牧の岩崎山、瀬戸市方面の花崗岩、岐阜揖斐川沿岸多度山系の砂岩、大名の地元から船による運搬などです。長久手の石は、おそらく瀬戸市方面の花崗岩に含まれているのではと考えられます。

長久手市の石作神社のテキストにも書いたのですが、奈良時代に存在した全国5カ所にあった石作神社の一つが長久手岩作の石作神社です。
かつてこの一帯には各地に石切り場があり無数に採石され、すぐ北側の瀬戸市側に海が深く切り込み入江だったためそこから各地へと運ばれていたようです。

左の尾張國養老元年之図(西暦717年)の右端に、岩作、瀬戸、守山、猪子石、志段味などの地名が見える。海が切れ込むように入り込んでいた。

モリコロパーク、ジブリパークの南側を流れる香流川には、古くから「石場」という地名があり、今回取材した長久手東部の「助六古墳群」とは目と鼻の先であったことを考えれば、この一帯が大きな採石場になっていたようです。

これは長久手東部のかつての石場「助六」の地のすぐ脇に7年前に建てられたIKEAの建物の中に貼られたポスターです。
2階のトイレにつながる通路に貼られた地元のスウェーデンのIKEAと縁のあるスモーランド(小さな土地)を紹介する画像情報です。スモーランドは深い松林と、石ばかりの草地と静かな湖水があったとのことです。

写真に見られるようあ各所に低い石垣が設けられその石垣の様子が、なんと日本の石垣にそっくりなのです。名古屋城の石垣の築石や間詰石の感じがどちらが名古屋城の石垣か分からないほどです。もちろん直接関係はいないでしょうが、まったく不思議なことがあるものです。

TOTONOの里山に2017年に東海地方に唯一つくられたIKEA。左の写真の左側奥の丘陵の中に、古い採石場がった助六古墳群がある。
IKEAの建物のすぐ向こう側にジブリパーク、モリコロパークがある。

この記事を書いた人
1960年 長久手生まれ。上郷保育園、長久手小学校、長久手中学校へ。菊里高校、青山学院大学英米文学科卒。英字新聞部「青山トロージャン」所属。編集プロダクションのMatsuoka & Associatesにて学び、編集工学研究所入所。 1990年、洋書写真集・美術書をリースするArt Bird Books設立、1992年中目黒駅前に店舗を構える。2009年から代官山蔦屋書店にて主に写真集のブックコンシェルジェとして勤務。2020年、Uターンで地元長久手に戻る。 『Canon Photo Circle』誌の写真集コラムを1年間連載後、「長久手タイムズ」を始動。

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