アート&カルチャー

流線型のボディラインのはじまりからトヨダA A型へ【トヨタ博物館】(7)

今日のクルマのボディデザインに通じる「流線型」(ストリームライン)のデザインはいつ頃はじまったのでしょう。その答えがトヨタ博物館にあります。1930年代、欧州で流線型が学術的対象になっていましたが、アメリカではいち早く、レイモンド・ローウィや ノーマン・ベル・ゲデスらインダストリアル・デザイナーが、飛行機や列車などさまざまな乗り物に採用していきました。その「流線型様式」1930年代後半には急速に流行し、一気に乗り物以外のデザインにも広がっていきました。自動車は、空気力学からきた「流線型」を美しいデザインの一部として最も身近に感じ取れるものでした。

インダストリアル・デザイナーのノーマン・ベル・ゲデスによるオーシャン・ライナーの模型 1932年
レイモンド・ローウィー「自動車の進化」をもとにした模型 Evolition of a Model Car
ノーマン・ベル・ゲデスによるエアー・ライナー No.4の模型 1932年    すべてトヨタ博物館2Fに展示

流線型デザインをいち早く取り入れたクルマの一つが1935年のリンカーン ゼファだった(後述するクライスラー・デソート・エアフロー1934年が最も早かった)。ヘッドランプをフェンダーに埋め込み、空気力学を基にした流線型デザインのセダンは時代の先進性を感じさせた。ただ市場では勝てなかったという。展示:リンカーン ゼファSeriesHB 1937年式(昭和12年)

リンカーン ゼファSeriesHB 1937年式

[キャデラックシリーズ60スペシャル 1938年製造]リンカーンゼファー発表の後、クルマに実用性を持たせて、「流線型」をボディラインに応用した最初期のモデルの一つ。

流線型ボディをうまく活かし、後部座席の後ろに<トランクルーム>がクルマで初めて設けられた。とくにこの時代、キャデラックは時代の変化を取り入れる先進性と技術的アイデアはすごいものがある。現代の3ボックスセダンの原型になっている。最前列の足元が広くとれるハンドルのコラムシフト方式の採用もこのキャデラックが初である。

1930年代:流線型の時代へ

レイモンド・ローウィ Raymond Loewy パリ出身のデザイナー。「先進的ではあるがぎりぎり受け入れられる」Most Advanced Yet Acceptable (略してMAYA段階)の先進的インダストリアルデザインで、「口紅から機関車まで」さまざまな分野で活躍。

ノーマン・ベル・ゲデス Norman Bel Geddes  デザインを通しアメリカ社会を変革したと言われる。劇場から住宅プロジェクト、家電製品から飛行機、クルマにいたるまで、20世紀の「レオナルド・ダ・ヴィンチ」と呼ばれるベル・ゲデスはすべての分野でイノベーターだった。

1930年台バーリントン・ゼファー機関車の模型 1935年 
モーター・カーNo.8の模型 1932年 ノーマン・ベル・ゲデス(Norman Bel Geddes)

自動車デザインに流線型をいち早く取り入れたクライスラー・デソート・エアフロー(1934年)がクルマ館2階に展示されています! トヨタ博物館の平田雅己さんによると、このクルマは 開発時に1/5のスケールモデルを用い、風洞実験をもとに外形デザインを生み出したことで知られているとのことです。
同時に車室内のパッケージング見直しにより、特に後部座席をそれまでの後輪車軸上から車体中央に寄せて振動を少なくしたクルマとしても有名です。流線型デザインの採用と乗り心地重視の設計は、トヨタ初の乗用車「トヨダAA型」(1936年)のR&Dにおいて大いに参考とされたとのことです。

豊田喜一郎は、デソートエアフローを購入して、路上に駐車して行き交う人々の意見を聞いたと伝えられています。 当時の米メーカーのように毎年モデルチェンジすることは到底困難なので、当時最新の流線型デザインを採用してモデルサイクルを長く取れるようにコスト面からも判断されていたとのことです。

後ろの壁に貼られたのは、シカゴ万博(Chicago World Fair 1933〜34開催)のポスター。クルマの「ストリームライン=流線型」デザインが大きなトレンドになっていこうとしているまさにその時代に開催されました。

シカゴ万博はでは万博の歴史で初めてテーマが設定され、シカゴ万博は「進歩の世紀 A Century of Progress World’s Fair 」と銘打たれた。クルマが上下に移動し続けるガラスのタワー「Nash Tower」もシカゴ万博で展示された。

クルマ館2階の「流線型の時代」のセクション

タトラ87(Tatra Model):涙滴方流線型モデルを採用したタトラ77(1934)の後継モデル。独特なシャシーはバックボーンとフロアパネルで形成されている。チェコスロバキアのクルマだが、1934、5年にすでに流線型デザインが採用されている。チェコは極めて独創的、先進的なプロダクトを生み出す。

ランチア アストゥーラ ティーボ 233C Lancia Astura 1936 イタリア
デザイン王国のイタリアでは、ランチアは1931年にアストゥーラを発表。1935年に高級スポーツカーをつくりだすため、ピニン・ファリーナからストリームラインの魅力的なボディを架装した。

KdF ワーゲン 1942年 ドイツ KdF-Wagen
ドイツの高性能な小型大衆車プランによる「国民車」プロジェクトに従ってポルシェ博士により開発された。プロトタイプは1938年に完成されていた。第二次世界大戦により軍用車両の生産が優先され民生用量産は実現しなかった。よってKdF タイプはわずか630台だけ、軍人や要人向けだけに納車された。展示者車は現存KdFの中で最も古いものの一つ。
「Beetle(カブトムシ)」の通称があるフォルクスワーゲン・タイプ1は、後に国際的な自動車市場で大成功をおさめ、2003年まで半世紀以上生産が続いた。累計生産台数2,152万台の記録を打ち立てた伝説的大衆車となった。

トヨダAA型(レプリカ)1936年 /  トヨタAA型 1936(黒色のボディーの写真はトヨタAA型レプリカ。クルマ館エントランスホールの展示の様子)
トヨタ自動車の創業者の豊田喜一郎が中心となって、当時最新のアメリカ車を手本にしながら、いち早く「流線型」のデザインを取り込み開発した。生産合理性と乗り心地を持ち合わせたトヨタ初の記念碑的乗用車。

AA型から4年後に作られた流線型を活かしたAE型乗用車 「新日本号」1940年
この自動車はあまり知られることはないが、戦中に商工省の要請で、「皇紀2600年記念トヨタ国策乗用車」として開発された。軍用としてわずか76台のみ生産されたもの。展示は模型 縮尺Scale 1/5

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