景行天皇社は、正月3カ日で長久手市民の約3分の1にあたる人数となる約2万人が参拝する由緒ある荘厳な社(旧長湫地区の氏神様)です
社の名称にある影行天皇は第12代天皇で、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の父にあたる重要な天皇で、九州巡幸、美濃行幸で知られる天皇です
社伝によると創建は承和4年(837年)でかつては、現在の杁ヶ池公園に近い「根の神」の地にありましたが、江戸時代初期(慶長九年 1604年)に遷座し現在の西浦の地に落ち着きました。
長久手合戦で勝利した徳川家康公は江戸幕府を開く10年程前、この近くに遷座していた頃の景行天皇社に戦勝を祈願するため参拝しています
本殿の屋根の形式からも由緒ある格式が高い神社建築であることが窺われます
この時点では片側2列ですが元旦は石階段いっぱいに4列で並んでいました(こちらの写真は地元の青山典正氏撮影)
巳年のお守り
徳川家康公が、長久手合戦を前に<戦勝を祈願>
社記によると創建は承和4年(837年)で、かつては現在の杁ヶ池公園に近い根の神の地に創建され、その後大久手に遷座。
長久手合戦からちょうど20年後の江戸・慶長九年( 1604年)に城主の支援を受け現在の西浦の地に落ち着いたとあります。
また徳川家康は、長久手合戦前にここから近くに遷座していた頃の景行天皇社に戦勝を祈願しています
厳かな拝殿と奥の本殿、そして社務所
七五三参りでは拝殿の中で荘厳に催されます
平均年齢が日本一低い市でもある長久手市においては、平成中頃から令和になって参拝者が急増しているのに伴い、小さな子供がいるファミリーが多く、七五三の慶日には、多くの家族連れが参拝します
荘厳な拝殿内では子供さんは宮司に名前を呼ばれると自ら前に進み出て祈祷に参加でき厳粛な時を共有することができます
神楽殿
氏子総代は地域の氏子の皆さんから篤い信任をえて選出された氏子の代表です。選出されると基本2年間氏子総代を務めます
身を清めた氏子総代が着用する白い法被。背中の花の図案は燕子花(かきつばた)
景行天皇社は氏子総代は今年は13人
氏子総代は大晦日の夜10時から、宮司に協力し夜通し神社運営や様々な活動のサポートに入ります
氏子総代の山田卓次さんと髙田吉郎さん
拝殿の西面にはジブリのキャラクー
氏子総代の方々が、ジブリキャラクターと一緒の記念撮影に協力しています
景行天皇社への新年の参拝者は年々増加しており、とくに元旦の参拝には鳥居の手前も大勢の参拝者が連なる光景が見られます
御神籤の数も急激な増加となり、日が暮れる頃には御神籤を結ぶ場所もまったく無くなるほどとなり、翌日の参拝者のため入れ替えざるをえない状態になるとのこと
とにかく長久手町時代には想像できないほどの多くの参拝者が訪れてられます
*駐車場は昔から大鳥居の東側に、30台ほどが停めれる駐車場があるのみで社前の道路は渋滞に
とくに正月三が日は、杁ヶ池公園駅やはなみずき通駅などから徒歩が良いでしょう
リニモ「杁ヶ池公園駅」から「はなみずき通駅」車窓からの風景
最初の映像に映るこんもりとした樹木の小山が景行天皇社が鎮守する所です