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「ゲゲゲの鬼太郎」の絵が長久手に?! 犬山と長久手、その数奇な運命【長久手タイムズ】

撮影:中野淳



この大きな絵はある経緯で、「愛・地球博」が終幕した翌年の2006年頃に、土屋慎吾氏から長野県ひるがの高原にあるホテルへと持ち込まれたそうです。

当時そのクローズしていたホテルをアイデアマンの加藤義郎氏が買い取り、奇抜な絵をホテルの内壁に描いてもらうことを提案。土屋氏はドイツのメルヘン街道に魔女(witch)が現れ人を惑わし大暴れする四コマ漫画を制作。その奇抜なアイデアを加藤氏も了承し描き切ってもらったとのこと。
その絵は当初の構想を超えドタバタとメルヘンがない混じりになったものが出来上がったそうです。加藤氏は満面の笑みで語ってくれました。

さて、この「ゲゲゲの鬼太郎」の絵はいつ、どうして描かれたかは明確にされていません。

加藤組の建物内、打ち合わせ室にて。
この「絵」は一般公開されているものではありませんが、将来、長久手の里山エリアにて展示されるときが到来するかも知れません。


犬山城(土屋氏は城下町に居住)と長久手大草城(加藤義郎氏が麓に暮らす)は、戦国時代にちょっとした関係でつながっています。犬山城は織田家の居城でしたが、小牧・長久手の戦いで秀吉勢の武将として落命した池田恒興(勝入)とかかわりがある城です。池田恒興が犬山城を落城させ入城して以降、2km離れた小牧山城に陣を構えた徳川家康と睨み合いを続けていた城こそが犬山城でした。

一方、長久手大草城は、小牧・長久手の戦いで落命した秀吉勢の武将・森長可が元々三河を見張るため廃城だった大草城を整備改築した城でした(長久手は尾張の東部端で丘陵の向こう側は西三河である)。長久手の合戦で池田恒興も森長可も共に戦死しますが、敗残兵は大草城に流れて陣取り家康軍と対峙したと伝わっています。


小牧城と長久手古戦場は、家康軍が陣地とした場所として深く繋がりますが、その一方で犬山城と長久手大草城は秀吉勢と深く繋がっています。長久手の合戦前から、大草の地には秀吉勢が農民として住みだし、合戦後も池田恒興隊や森長可隊の敗残兵が住みついて暮らしていったと伝わっています(永見寺寺院由来案内板。戸田、中野、加藤、鈴木姓はその入植者の苗字だった記録)。地元・大草で生まれ育った加藤義郎は、この大草城を復興構想するプロジェクトの地元のリーダーです。

里山エリアござらっせ近くに置かれた大きなねこ像。この招き猫伝説を紹介する文章は加藤義郎氏が書いている。
「ゲゲゲの鬼太郎」には妖怪キャラクターの猫娘が登場する。加藤義郎氏の周りにはよく猫がよってくるようだ。

猫の招きで、裏山にある大草の鎮守様・熊野神社に足を運んでみました。

長久手東部は、周りが大草丘陵や岩作丘陵、東部丘陵に囲まれた里山になっています。大草丘陵の少し小高い場所に古くからあるのが熊野神社です。

Writer
1960年 長久手生まれ。上郷保育園、長久手小学校、長久手中学校へ。菊里高校、青山学院大学英米文学科卒。英字新聞部「青山トロージャン」所属。編集プロダクションのMatsuoka & Associatesにて学び、編集工学研究所入所。 1990年、洋書写真集・美術書をリースするArt Bird Books設立、1992年中目黒駅前に店舗を構える。2009年から代官山蔦屋書店にて主に写真集のブックコンシェルジェとして勤務。2020年、Uターンで地元長久手に戻る。 『Canon Photo Circle』誌の写真集コラムを1年間連載後、「長久手タイムズ」を始動。

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