現代を代表するお二人の大仏師である江場琳黌(りんこう)仏師と江場琳觀(りんかん)仏師。今回、両仏師にお話を伺うため長久手戸田谷にある「江場仏像彫刻所」を訪問致しました。
時間に追われ時間が足りない現代において、一千年以上の「時」を超える存在をつくりだすお仕事に向かうことは、想像を遥かに超えるものではないでしょうか。
昭和の時代、変化がほぼなかった造像の「伝統世界」に、若き江場琳黌仏師が感覚したことが一つの起点となって、それが「倍音」のようになってご子息である江場琳觀仏師の心と技に受け継がれていきました。
長久手の地で、細部に至るまでの彫りの美しさと独特な風合い、近寄れば体温が感じられるお仏像が両大仏師のもとで制作されている。そのことを心に留めておきたいとおもいます。
聖観音(しょうかんのん)
江場琳黌(りんこう)仏師、そして江場琳觀(りんかん)仏師をまじえたインタビューを音声にてお聴き頂けます。
*インタビュー : 下のバーの▷をクリック
私の出発点は、まずはお爺さんが仏師であった環境で育ったことです。そしてこの地方(愛知県)のひと昔まえのお仏像制作の慣習の中にいました。
以前は今日とはずいぶん変わっていて、お仏像の数もの(大量生産的に制作されるもの)を任されるのがこの地方の仏師として普通のことで、今日の様にお寺さんから直接依頼がくることはありませんでした。どこからお仏像制作の依頼が来るかといえば、お寺さんに仏具類を納品している仏具店からでした。
まだ若い頃のこと、当時の名古屋のお仏像作りと京都のそれとの違いに非常に疑問を感じ始めました。この道を選んだからには「京都のように一点ものの仏像を制作してみたい」。
そうした志をもって京都の松久朋琳仏師の門を叩こうとしたのですが、当時はお弟子さんを受け入れることはしておらず、通って来るならばということになりました。後に彫ったお仏像を手に持っていきまして見て頂いたとのことです。
江場琳黌大仏師の一点もののお仏像を彫りたいという湧き出てくる気持ちを貫き通したことが、今日の「江場仏像彫刻所」の原点になっているとのことです。
現在、お仏像制作を以前のまま継続していくことはもはやできなくなっています。海外製(主に中国)の廉価な仏像が、日本国内の仏具屋さんを席巻していて、多くの仏師が鑿(のみ)を置くまでになっているとのことです。日本人の心の形まで輸入物にたよる時代に我々は生きている、、それを軽々しく受け入れてしまうことはどうなんだろう。
「江場仏像彫刻所」内にある展示室
江場琳黌大仏師が彫られたお仏像
聖観音 雲繝彩色の蓮華があらわす、荘厳の美
平成12年(2000年)作 榧(かや)・檜(ひのき)
工房展示室の中核をなす菩薩像。聖観音はバラモン教で説かれた神から転化した菩薩。観音信仰は仏教伝来と共に始まった。衆生の苦悩を救うとされる菩薩である。制作期間は足掛け3年。豊川稲荷蔵の「聖観音」と時を同じくして制作した兄弟作。
白衣観音(びゃくえかんのん)
白衣観音 息炎延命の本尊
昭和59年(1984年)作 樟(くす)
釈尊や観音の侍者としても現れる「観音三十三様」の一尊。頭上を天衣で被う姿にあらわすのが一般とのことだが、ここでは天衣を肩に下ろし、磐石にゆったりと腰掛けている。琳黌大仏師の創意である。
伎芸天 (ぎげいてん) 独自の意匠の束髪
昭和62年(1987年)作 樟(くす)
伎芸天は容姿淡麗にして技芸に長じた天女。束髪や手に自由さをあらわす独自の意匠である一方、彩色は古典的技法の研究と習得を目的として制作された。
蓮(はす) 泥中より出ずる蓮の精
平成2年(1990年)作 樟(くす)
蓮が重なった台座からまるで蓮の精のように姿を立ちあらわしたかのよう。淡い色調は朝霧の霞むような空気感のなかでの邂逅がイメージされている。
蓮の精として観音をあらわした創作仏である。
蓮(はす)
阿弥陀如来 現世を照らす、光のほとけ
昭和63年(1988年)作 檜(ひのき)
無明の現世を照らす光と宇宙の無限星を有し、空間や時間の制約を離れた存在とされる。
琳黌大仏師は本尊において、腕に掛かる袈裟の奥まであらわし尽くそうと、鎌倉期に考案された割袖の技法の研究と伝承を目指して制作に臨んだとのこと。
写真提供:江場仏像彫刻所
「江場仏像彫刻所」のHPはこちらから:http://www.ebabutsu.com
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