香流川のかつての最大の難所は、家康が陣を敷いた色金山と岩作御嶽山の間でしょう。現在は県道215号・田籾名古屋線が通っていますし、さすが難所とは言い難いですが、それでも古えの名残があります。
安昌寺を越えると急カーブがありますが、そこは香流川が色金山の麓をえぐってできた地形です。この道が開ける前までは、御嶽山の参道に架かる高根橋を渡り、香流側の反対側(右岸)を通って上郷方面に出ていたといいます。
かつて大量の土砂が流れ込み、川はこの一帯で暴れていたようです。昭和の初期より堰が設けられています。
『香流川物語』 小林元 著
昭和52年(1977年)初版発行 / 発行所 中日出版社
1930年名古屋市生まれ
長久手町史編纂室員
長久手町郷土資料館運営委員
副題:長久手・猪子石の今昔
香流川 / 猪子石への道 / 岩作への道 / 長久手の合戦 / 岩作の歴史 / 長湫 / 前熊 / 大草のむかし / 北熊 / 猿投合宿 / 農民のくらし etc.
前熊橋のすぐ下流域。愛知県立芸術大学が建つ丘陵を源流とする堀越川とこの場所が合流地点。その水流がこの場所で大きな湾曲の地形をつくり出しました。
この辺りは昭和50年代あたりまで護岸工事は部分的であちこち子供たちの遊び場になっていました。護岸整備で川の氾濫が抑えられる反面、川で遊ぶ子供たちの姿はめっきり減り、川べりに遊歩道が設けられていきました。
向こう側に高根橋。
岩作御嶽山の参道近くの香流川。地元の方が手入れする小さなお花畑が川べりを彩ります。
左手に岩作御嶽山の山道へ至る高根橋。
御嶽山参道へ。高根橋がかかる。
御嶽山をぐるりと巡るように香流川は流れくだっていきます。高根橋より南側のこの一帯は地元の人しか訪れないであろう場所。岩作東島である。岩作地区の中でも昔から変わらない地域。どんな流れかは空白地帯になっているかもしれません。
岩作東島の一番東側を香流川は蛇行しながら流れていきます。
岩作橋の上から。正面奥に岩作御嶽山。左に行けば市役所、右に行けばAEON長久手店。
寺山橋方面を望む。この辺りともなると香流川沿いは住宅街の様相を呈してきます。岩作の東部にある瓦屋根の昭和な家屋はなかなか見かけなくなってきます。
左手奥に長久手市中央図書館の塔が少し見えます。岩作寺山を越え、岩作西島地区に入ると香流側両岸には、新興住宅地が多く目につきます。
寺山橋から石田橋方面へ。整備された遊歩道を散歩したりジョギングしたりする人が行き交います。川にはマガモ。
対岸へ飛び越える石が何箇所かあって浅瀬は子供達の遊び場にもなっています。
石田橋手前の風景。川幅が広くなり子供たちの遊び場にもなっています。夏の景色は緑色に覆われます。この右手すぐに桧ケ根公園があり、秀吉方の堀秀政が徳川家康の四天王の一人・榊原康政に勝利した場所となっています。
香流川の畔の野ざらし観音
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