モリコロパーク(愛・地球博記念公園)の敷地内の森の中に、「香流川の水源の一つの証となるような祠」か石碑の様なものがあるようだと聞いていたので探索してみました。
ところが皆目分からなかったため、今回、愛・地球博記念管理事務所に問い合わせしましたところ、公園管理事務所・ジブリパーク調整G(企画・広報)の水野綱人(つなと)さんがご対応してくださり、「水神様」と呼ばれている社(やしろ)のことならば、確かにモリコロパーク内に存在しているとのことで後日案内して頂きました。このレポートは6月半ばの晴天の日の午後、「水神様」のある場所を訪れた時のものです。
モリコロパーク・ジブリパークは愛知県の東部丘陵の森の中。
愛・地球博のマスコット「モリゾーとキッコロ」
目的地近くまでモリコロパークの公園管理用移動車で案内して頂きました。
「水神様」へ至る階段。パーク内には至る所に森へ入ってゆく階段がありますが、この階段を見るのは初めてでした。
「水神様」は、ジブリパークの施設のうちでも一番北側にある「もののけの里」よりさらに北側にありました。
現在は立ち入り禁止区域になっているため通常は立ち入ることはできないとのことです。
このレポートを見て、「水神様」を直に訪れたいは、「愛・地球博記念公園管理事務所」まで、前もって必ずお問い合わせください。
今回、公園管理事務所の水野綱人さんと渡邊健治さんにご案内頂いております。
急な階段をつづら折りに上っていきます。
階段を上りきると平坦な場所へと辿りつきます。
途中、巨石があるとお教え頂きました。岩の上部は水平になっている磐座(いわくら)のようです。大昔、ここで何か儀式が執り行われていたのかも知れません。この後ろにも巨石がありました。
さらに森の奥へと進んで行きます。
森の中に突如現れた建造物。階段の入り口からざっと80m程でしょうか。社がある場所は、モリコロパークの敷地の中でもひときわ標高が高い丘陵の森の中のようでした。
小さな祠のようなものだろうと推測していたので、矩形で、まるで結界のようにブロック塀で囲み、石階段と石柱の入り口のある社だと分かった時は驚きでした。
「水神様」のシンボル
石碑を確認する公園管理事務所の水野さん
ブロック塀の上はぐるりとすべて苔蒸していました。
高さ50cmほどの石碑には「弁財天」とありました。また氏子総代、建立年などが彫られていました。
それによるとこの石碑の建立は、昭和43年の建立。モリコロパーク(当時の名称は「愛知青少年公園」)の開園が昭和45年(1970年 大阪万博と同じ年)なのでその2年前になる。
およそ2年前となれば「愛知青少年公園」の開園に向けて巨大公園の準備や整備が始まっていた頃だろう。
万が一、公園の整備でかなり昔から伝承的に受け継がれてきた「水神様」の在処が失われないように、また取り壊されないように石像と社(やしろ)、そして結界の場を守り抜くようにとブロック塀が設けられたのでしょう。
公園管理事務所の水野さんによれば、青少年公園開園当時の1970年頃も、それ以降もこの社は地元のずっと「水神様」と呼びなわわされてきているとのことでした。
「寛政4年(1792年)」の長久手東部・北熊村の古地図。
右側の樹木地帯が現在のモリコロパーク(愛・地球博記念公園)に相当しています。この翌年寛政5年には江戸にて浮世絵師・東洲斎写楽の役者絵が大人気に、そんな時代の古地図です。北熊の中心的家屋や田畑とモリコロパークの森は現在に至るまで継がれています。
森の中央からやや左上の青い丸は、現在、ジブリの大倉庫とスケート場の手前にある「こいの池(正式名称:鯉ヶ廻間池)」をあらわしています。
「ジブリの大倉庫」手前の「こいの池」
「魔女の谷が見える展望台 夏の翼」から「オキノ邸」方面を臨む。
「かめの池」から流れでた水流。6月、周りは紫陽花園になる。
リニモ公園西駅からの遊歩道と香流川。新緑の季節、川の流れが見えないほど緑に包まれます。
長久手東部、里山エリアのほぼ中央にある多度社とその周囲の樹木。多度社は、この一帯の「水の神様」として知られています。
昭和20年代末に、長久手の初めての保育園が多度社のすぐ南側(写真の樹木の右端)につくられました。長久手で最初の保育園施設の開園でした。
2年前に閉園し、現在は前熊の長久手東小学校の隣りに見事な全木造建築による建設され移転されました。
上郷エリアの田圃の光景(撮影は5月)