長久手市には「円空仏」が2体、所在しています。どちらも里山エリアにある寺院に安置されています。今回、「円空仏」のお話を伺いにあがったのは、「木造薬師如来坐像」(市指定有形文化財)が安置されている大草の曹洞宗の古刹・永見寺さんです。もう1体は800m程離れた前熊寺に所在しています。
美濃出身の修験僧・円空(1632〜1695)が長久手の地に入ったのは、江戸初期の1668年頃(36歳頃 )のこと。現在の名古屋市守山区の龍泉寺で馬頭観音三尊と千体仏を彫り、近くの尾張旭市の庄中観音堂で像を彫った後に長久手東部の地に入り2体を造像。その後、日進市岩崎山中で不動三尊像を彫っています。小牧・長久手の戦いから80余年のことでした。
それではとても穏やかな表情をした円空仏「木造薬師如来坐像」を一緒に訪ねてみましょう。
取材:加藤正樹、中野淳 / 写真撮影:中野淳(一部 加藤)
上郷地区大草の曹洞宗の寺院「永見寺」。この「永見寺」には長久手市内で最も古い仏像も安置されています。
由緒によると開創は貞観時代(859~877)で、開基は興国2年(1341)。
長久手で最も古い岩作の石作神社の創建が9世紀初頭頃なので、それからわずかざっと50年後に開創されたという相当古いルーツを持つ古刹です。何度も補修され最後が平成.+年に大改修がおこなわれています。
拝殿の中には、永見寺からすぐ近くに住居とアトリエがあった伊藤高義画伯が上郷の警固祭りを描いた大きなかいが掛けられていました。
本尊は長久手市内最古の仏像といわれる地蔵菩薩立像です。
円空仏の総数は現存数が5298体(2015年時点)。]分布としては愛知県の3241体が最多で、次いで生誕の地・岐阜県が1684体、3番目に埼玉県の175体、次いで北海道の51体。遊行僧として全国各地を行脚しますが、南方は三重県や奈良県辺りまでとのこと。
禅門で修行した後、北名古屋市にある天台宗寺院・高田寺(こうでんじ)で”密法”を授かり造像。現在も4体の円空仏が安置されています。その1体は永見寺と同じく「木造薬師如来坐像」で秘仏になっています。高田寺の本尊もまた薬師如来でした。時期的に北名古屋市の高田寺で修行し造仏したのち、守山の龍泉寺、尾張旭、長久手、日進岩崎へと足をのばしたのではと思われます。
とても穏やかな表情をしている「木造薬師如来坐像」。かなり以前から永見寺さんや地元ではこちらの円空仏を「大黒様」と呼んでいたとのことです。
美濃出身の修験僧・円空(1632〜1695)画像 wikiより
円空が歴史に所見として最初に記録されたのは1663年(31歳)とのこと。幼少期、またはこの頃までにすでに出家していたようです。その約5年後の30代半ばに守山の龍泉寺〜尾張旭〜長久手〜日進岩崎へと巡錫の旅に向かいました。
永見寺の寺嶌(てらしま)和尚に円空仏をご案内、ご説明頂きました。
上郷里山エリアを一望できる枯山水の庭
境内は大草丘陵の少し小高い場所にあるので、境内からは上郷の里山一帯を臨むことができます。
神社の場合は周りが鎮守の森として樹木で覆われるので、永見寺のように少し丘陵の中腹からひらけた眺望となると、市内でもほとんど無いかも知れません。
山号の「水福山」の名は湧水があった事に由来するとのこと。里山エリアは今でもあちこちから湧水が出ており昔から水が豊かでした。
権道寺がかつてあった北浦近くの岩廻間(いわばさま)から移されたと伝わる「小五郎松記念碑」。
また永見寺本尊の「地蔵菩薩立像」は長久手市最古の仏像とされています。「地蔵菩薩立像」は、「承久の乱」で消失したため権道寺にあった幾つもの寺仏が近隣諸寺に安置されるようになったと伝わっています。
永見寺 寺嶌(てらしま)和尚
西側には熊野社があります。その隣接地は、織田信長の命を受けた武将森長可(鬼武蔵)が家康に睨みを効かすために大整備した大草城の城址。小牧・長久手の戦いの5年前のことでした。
写真に映る石灯籠のすぐ向こう側が大草城の東南郭でした。森長可らも城の改築中この一帯を根城にし、永見寺にも顔を出していたにちがいありません。