下平氏が1985年、25歳の時に発足したのが、後に日本で最初のローライダー・カークラブとして認定されることになるPHARAOHS(ファラオス)である。現在37年目を迎える。
これは2010年に25周年を記念して作られたフラッグ。この2年後の1987年に共同経営者である相棒の生井氏とParadise Roadを始める。
プラモデルで戦車作りに興じていた少年時代、10代後半になるとクルマやバイクのリアルな世界に一気に魅了されていったという。同じく長久手小学校、中学校出身のバッドボーイズたちとグループを結成し青春を謳歌。
彼らのほとんどは町の東部、現在モリコロパークがある丘陵や田圃に囲まれた町の中でも片田舎の出身だ。そんな彼らのはちきれんばかりのエネルギーが写された一枚。倉庫の奥の壁に大切に貼られてあった。
Paradise Roadのカスタムバイクも多くの賞を取り極めて高い評価を得ている。
現在、Paradise Roadの倉庫にはお客さん預かりの1936シボレーと、下平氏のプロジェクト 1936Fordが置かれてあった。米国西海岸には、メキシコからの移民(チカーノ=メキシコ系アメリカ人)が多く住んでいるが、彼らのアイデンティティは、フォード車でなくさらに安価な中古シボレーを彼らなりのセンスで改造し、白人の改造車であるホッドロットに負けない美しさと豪華さを手に入れることだった。
クルマが日常的に必要な米国西海岸で、1950年代からチカーノが編み出した中古車の改造・カスタムは、彼らのライフスタイルの一部なのだ。彼らのプライドそのものでもある。下平淳一氏はその方法論とスタイルに感銘を受け、自身のアイデンティティとプライドに結びつけていったのだ。