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世界的アーティスト奈良美智氏が20代に暮らしていた長久手の地

日本人の世界で最も知られているアーティストの一人、奈良美智氏(青森県弘前市出身 現在63歳)は、20代の7年間(1981~1987)をこの長久手で暮らして学生生活を送っていました。武蔵野美術大学を1年で中退、翌年入学したのが愛知県立芸術大学でした(美術学部美術科油絵専攻)。卒業後、同大学大学院修士課程に進むので20代の前半から後半までかなり長い間、この地で6畳2間の古屋の様な古家で暮らしています(いっとき別の古アパートなどに住んでいたかは分かりませんが)。家賃はあっても5,000円もしなかったのではと思われます。暮らしていた場所は、長久手に住む同時代を過ごした複数の人物と奈良氏のインタビューから割り出すことができました。当時の古い建物はありませんがおおよそのあり様を感じることができると思います。県芸大やその界隈は、夜になれば真っ暗闇ですが、青森のように自然に包まれた場所でもあり、氏の創作活動にきっと向いていたのではと思うばかりです。

奈良氏が暮らしていた場所からすぐ先にある三叉路。左の道を行くと300m先に芸大。右の道を行けば愛知県農業総合試験場へ。今も40年前も変わらない三叉路です。

芸大通りの標識から手前に入る小径。この手前に芸大生やアーティストたちが住んでいた「バス村」がありました。「バス村」については、この地に当時15年暮らしていた松本和之氏の記録写真があり、ぜひ「Nagakute Times」の同カテゴリー「ディープ長久手」のレポートにあたってみてください。

このブロック階段は、当時のバス村やバラック小屋に通じる近道になっており、ずいぶん古い様子から奈良氏たち芸大生や若きアーティストたちが通った場所なのではないかと思います。

ブロックの階段の道路を挟んで竹藪がありますが、こここそかつて1980年代半ばから90年代にかけて地元では「悪魔の入口」と呼ばれて子供達には近づくな、と呼ばれていた奥に続く暗い路があります。奈良美智氏がちょうど県芸大に通っていたのが1980年代の7年間程であり、まさに目と鼻の先にある芸大生たち溜まり場の様になっていたので、かなりの回数、芸大生やOBの若いアーティストたち、地元のヒッピーたちと場を共にしたのではと推測されます。「悪魔の入口」については、カテゴリーの同じく「ディープ長久手」に詳しく当時の様子を聞き取り掲載しています。

この坂の奥に「バス村」やバラック小屋が点在していました。

現在、「バス村」のすぐ横に建つあるアパート風の古い建物。1980年代には2階建てのこの建物はまだ建っていなかったとおもわれますが、当時の様子が少しばかり偲ばれます。

奈良氏が暮らしていた場所から県芸大へ行く途中にある古い池。昔からほとんど変わっていません。ほぼ毎日のようにこの池をチラリと眺めて芸大に通っていたに違いありません。

この通り左手に池があります。右手の小高い場所が芸大に通う歩道になっていて奈良氏も日々往来していた道。

300m程道なりに坂をのぼると県芸大のキャンパスです。

「魔界の入口」や奈良氏が暮らしていた古古屋から芸大に向かって50m程の場所に長久手市指定の史跡「三ケ峯(さがみね)三号窯」への入口があります。この古窯は瀬戸焼の源流となる猿投古窯で、日本の三大古窯の一つに数えられています。

猿投古窯の陶器(三ケ峯古窯で作られたものではありませんが一帯で出土したものです)。数多くの古い須恵器や灰釉陶器が発掘出土しています。モリコロパーク近くの愛知県陶磁美術館に多くの出土品を見ることができます。 当時美術館は現在、改装休業中。2025年に再オープン。

1981年、おそらく丁度、奈良氏が青森から愛知にでてきて芸大に入学した年あたりにこの古窯が発掘調査されています。須恵器、灰釉陶器が出土しています。瀬戸焼の起源です。平安時代から鎌倉時代にかけての古窯がこの一帯に20基あります。

奈良氏が暮らしていた場所から西へ向かう道。300m程で当時すでに通っていたグリーンロードに着きます。芸大前のバス停があったので、藤が丘や名古屋方面へ向かう時はそこからバスに乗って移動。1980年代は、この一帯は家屋も少なく小さなお店が一軒。それ意外、森以外何もないほぼ真っ暗闇が広がっていました。

奈良氏が長久手の地を離れ、ドイツ・デュッセルドルフへ向かった約15年後の2005年。長久手の愛知青少年公園で愛知万博の「愛・地球博」が開催されました。その際に会場アクセスとして、名古屋・藤が丘を始点にリニモが開業(リニアモーターカー:愛知高速交通東部丘陵線)。現在、芸大生の多くはこのリニモの「芸大駅」で降り、徒歩でキャンパスに向かいます。まったくの鉄道空白地帯だった長久手にはじめての鉄道がリニモでした。ちなみにトヨタ博物館は、県芸大とは反対側ですが、「芸大駅」から徒歩2分のところにあります。

「芸大駅」のすぐ近くにある静かな池。グリーンロード沿いの向こう側なので市民もまず知らないひっそりとした池です。この奥に「三ケ峯古窯」の史跡があります。

この記事を書いた人
1960年 長久手生まれ。上郷保育園、長久手小学校、長久手中学校へ。菊里高校、青山学院大学英米文学科卒。英字新聞部「青山トロージャン」所属。編集プロダクションのMatsuoka & Associatesにて学び、編集工学研究所入所。 1990年、洋書写真集・美術書をリースするArt Bird Books設立、1992年中目黒駅前に店舗を構える。2009年から代官山蔦屋書店にて主に写真集のブックコンシェルジェとして勤務。2020年、Uターンで地元長久手に戻る。 『Canon Photo Circle』誌の写真集コラムを1年間連載後、「長久手タイムズ」を始動。 mail address:nagakutetimes@gmail.com
コメント (2)
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