10月のようやくの秋の便りのなか、長久手に火縄銃の発砲音が轟きました。「警固祭り」です。開催地区は、三つの地区の持ち回りとなっていますが、2024年の開催地区は東部・上郷地区です。
上郷地区は、江戸時代より明治初めまで「大草」「北熊」「前熊」の三つの村からなっていたこともあり、「警固祭り」も三カ所の村の鎮守様で催されています。大草の「熊野社」、北熊の「神明社」、前熊の「多度社」です。
「警固祭り」の「警固」とは、神の使いの神馬(しんめ)を鉄砲隊と棒隊が警固するという意味です。
北熊の「神明社」での祭祀からはじまりました。
背に標具(ダシ)を乗せた馬と法被を着た馬方たちの姿が見えてきました。上郷の神馬は、ちょっと可愛らしい少し小ぶりな白馬でした。
最初の祭礼の奉納先の北熊・神明社を前に、列をなした鉄砲隊が火縄銃を発砲。午前9時過ぎ秋空に発砲音が轟きました。
神明社の森 奥にモリコロパークの大観覧車
木立の奥に石造りの「神路橋」が見えてきます。「神路橋」を渡るとに二ノ鳥居へ、そして拝殿へ上がる石階段があります。「神明社」の実際の住所は、長久手市神門前であり、この一帯が古くからの神域だったことが全体の空間から伝わってきます。
小高い境内の奥に、神明社古墳群があります。拝殿が建つこんもりとした土地は円墳だろうか、本殿のすぐ脇あたりに7世紀前半から半ばにかけての古墳があったことが市の調査で分かっています。長久手市の歴史は、小牧・長久手の戦いの16世紀より、1,000年も、さらに遥か昔へと遡ることができます。
「警固祭り」の「警固」とは、その神馬を鉄砲隊と棒隊が警固するという意味。
尾張と西三河に戦国時代から伝わるという豊年感謝の祭りである。現在まで継承されているのは長久手や瀬戸他、かなり少なくなっています。
巫女(みこ)神楽が奉納されます。民間の神楽は「里神楽」と呼称されています。
境内で「棒の手」が披露されます。「棒の手」は愛知県無形民俗文化財。長久手市には、県の指定の15程の流派があるとのこと。
江戸初期の17世紀の半ばから猿投神社に周囲の地区の棒の手が奉納されています。
また各地で警固祭りが盛んになったのは、江戸後期の1830年代頃から。(長久手市棒の手保存会 報告)
神の使いの神馬(しんめ)が境内を疾走します
午前10時16分:神明社での1時間余りに渡る奉納を終え、再び神明社の鳥居近くにて火縄銃が発砲され、祭礼が続きます。
神明社を出発し、午前10時30分過ぎ、火縄銃発砲場所の❼へ
香流川の堤の散歩道から田圃の通り道に列をなした鉄砲隊を望む観客