『劇画 小牧・長久手の戦い〜 激突 秀吉と家康』の存在を知ったのは、色金山公園にある茶室内のことだった。発行年は2005年、愛・地球博覧会が開催された年。愛知万博には、世界121カ国が参加することもあって、当時の長久手町が「長久手古戦場」を広くPRするために英語版を制作したものだった。
日本語版も刊行されましたが茶室内の販売の在庫切れだった(このほど、2,000部増刷決定とのこと)ので英語版を購入(中央図書館には蔵書があります)。海外には信長や家康ファン、戦国時代をよく知る日本通もいて、ストーリーコミック「劇画」を会場で手にする訪問客もいたことでしょう。
長久手のほぼ中央部、岩作にある色金山は長久手合戦において二度その名が出てきます。最初は、徳川家康が陣を張り、色金山の頂きにある巨きな石組を軍議の床机がわりにして、また石に腰掛けながら軍議を開いたと言われています。今も残るその巨石は「床机石(しょうぎいし)」別名:胡牀石 (こしょうせき)と呼ばれています。
そしてもう一つが、色金山の麓にある安昌寺の雲山和尚が、合戦後に野に散った屍を、敵味方関係なく集めて塚を築き手厚く葬ったのでした。この近くの首塚はその時に造られた塚です。合戦で出た死者は3,000人以上でした。
色金山の進軍の道や忍者の道のあちこちに眠る地蔵。全部で30体ほどが静寂の森の中におかれています。
『Battle of Komaki-Nagakute – Hideyoshi and Ieyasu English Version』2005 より引用 (企画・出版・編集 長久手町)日本語も出版されています。英語版・日本語版ともに長久手の中央図書館に蔵書されています。
Historic site guide on the top of Mt.Iroganeyama 色金山山頂付近にある英語の史跡案内
色金山山頂に設けられた歴史公園の木造りの展望テラス。遠くに合戦地を一望できる。
『Battle of Komaki-Nagakute – Hideyoshi and Ieyasu English Version』2005 より引用 (企画・出版・編集 長久手町)
長久手古戦場公園。林の向こう側は想像以上に広い荒々しい土面に崖、樹々が連なっている。資料館や池田勝入の墓標を訪れた
合戦の主戦場になったこの一帯の地名は「仏が根」。崖からのぞく土深く張っている古木の根っこ。
『Battle of Komaki-Nagakute – Hideyoshi and Ieyasu English Version』2005 より引用 「行け!」は、「Charge!」だったりします。