8月6日の広島、9日の長崎の原爆の日から80年を迎えた
今回、原子爆弾の訓練用の爆弾「模擬爆弾」を取り上げてみます。というのはこの原爆の訓練用の「模擬爆弾(パンプキン爆弾)」はなんと49都道府県のなかでは、愛知県に最も多くの投下テストがなされていたためです
しかも長久手の隣の現豊田市(挙母町)に3発、春日井に4発、名古屋八事に1発投下され、1945年4月段階では、名古屋も原爆投下目標都市の一つに選定されていたことはよく知られています
尚、豊田への「模擬爆弾」の投下は、終戦の前日で、3発目の原爆投下のための訓練であったことを考えてみても、原爆投下は狂気の真っ只中にあったことが見えてきます
パンプキン爆弾(Pumpkin Bomb)と呼称される(コードネーム)模擬原爆 (画像:Wikipediaより)
その形は長崎に投下された「ファットマン」原爆と同じ形とサイズ、質量となっており、「ファットマン」の模擬爆弾となっている
パンプキン(橙黄色のかぼちゃ)色に塗装されていたため”パンプキン爆弾”と呼称されてきた
命名したのはロスアラモス研究所の科学者と兵士
終戦前日8月14日、挙母町(現・豊田市)に模擬爆弾3発が投下
1発は現トヨタ本社工場が被災
後に模擬爆弾を投下した模擬爆弾の爆撃機搭乗員が、豊田英二社長に手紙を書き
真実を告げた
原爆の模擬爆弾の投下場所:広島平和記念資料館より引用
上図:原爆の「模擬爆弾」は東北・福島から関東、中部、近畿、四国と合計49発が投下された
原子爆弾は特殊な形状をした爆弾だったため、模擬爆弾の投下は弾道特性、空気抵抗などのデータ採集とパイロットの予備訓練だった
原爆の投下都市決定のプロセス
1945年4月27日:米陸軍の第1回目標設定委員会において、原爆投下の目標都市が以下の17都市が研究対象都市に設定された
東京湾、横浜、川崎、名古屋、京都、大阪、神戸、広島、呉、八幡、小倉、山口、下関、福岡、長崎、佐世保、熊本
1945年5月10日・11日:ロスアラモスで開枯れた第2回目標設定委員会で次の4都市が選定された(投下命令)
AA級目標:京都市・広島市 A級目標:横浜市、小倉市
1945年5月28日:第3回目標設定委員会
京都市・広島市、新潟市に決定
7月20日から、その形状からくる空気抵抗などから落下軌道が定まりにくいということから模擬原爆の投下訓練が実施される
1945年7月25日;新潟、広島、小倉、長崎の4都市に絞り込まれる
1945年8月2日:1日に新潟市が除外され、広島市、小倉市、長崎市とする最終命令
1945年8月6日:広島市に原爆投下
1945年8月8日:四日市、敦賀、徳島、宇和島に模擬原爆を投下
1945年8月9日:長崎市に原爆投下
1945年8月14日:豊田(挙母町)に3発、春日井に4発の模擬原爆を投下
1945年8月15日:終戦
爆撃機エノラゲイが投下した模擬爆弾は、7月26日に名古屋・八事にも着弾
8月14日の豊田(挙母)・春日井への模擬原爆投下の意味
8月9日の長崎への投下後も、3発目の原爆投下が準備されていた
最終的に9発の原爆投下を計画していたことが現在では分かっている
掲載資料:「戦争と平和の資料館 ピースあいち」ホームページより
シリーズ「戦争を考えるための遺跡」金子力
運営:NPO平和のための戦争メモリアルセンター設立準備会(名古屋市名東区よもぎ台2-820)
長崎に投下された原爆:爆心地からの距離と被曝地域
赤丸は中心地から12km
訓練用「模擬原爆」がもし「原爆」だった場合
原爆の実感を感じるため豊田市からの距離を割り出してみた
中心から12kmの赤い円は、「原爆被曝地域」となる可能性大
長久手は被曝地域と健康診断特例区域に指定されていた可能性も