「古戦場公園再整備基本構想」の一環として、かなり長い期間に渡って岩作古民家の調査移築が検討され、二転三転した結果、令和4年に古民家解体工事と移築工事の設計がなされました。そして令和5年、建物の撤去と整地し土地を所有者に引き渡す予定に。それから約2年今だに建物は建っています。
現在、古戦場公園西側の築山があるゾーンが切土されている最中。その場所に予定では古民家が移築され、新しい「歴史民族資料館」の付帯施設として整備されます。新市長の公約で、市民参加の「古民家移築事業意見交換会」が昨12月23日に執り行われ、間もなく新市長による最終判断が下されます。
そんな中、今一度この目で議論噴出の古民家を見ておこうと再び訪れ、幾つかのブログに掲載された写真では分からない、見えづらい部分が多くあり、個々の立場を超え外観、内観の写真を画像資料としてこちらに掲載いたします。
古民家のある場所は、「文化の家」から図書館通りを北側に降り、石田橋がかかる香流川を渡ってすぐの石田交差点からすぐ(約15m)。Rian長久手店から道路渡って斜め向いを少し奥に入る。
18世紀中頃(江戸中期)に建てられた家屋で、幾多の巨大地震を耐え抜き、明治24年に瀬戸市品野から長久手村へと移築されました。約10年前に家主から市へ寄贈されたもので、専門家による指導の下に保護され、古戦場再整備計画の進捗に併せて活用方法が模索されてきました。
古民家は年配者には懐かしい、また子供たちにとっては発見がたくさんある楽しい遊び場でしょう。ジブリパークの「サツキとメイの家」は目を丸くした子供達でいっぱいです。
しかし名作アニメの中にある家がリアルに存在しているというワクワク感とジブリのスタッフたちの昭和20年代後半〜30年代の民家の調査・研究や、当時の暮らしの様々な日用品・調度類、草壁一家が使ったであろうあったかなものたちで溢れていました。
単なる古民家ありきではないストーリーが各所に張り巡らされ丁寧に緻密につくりあげた結果でありました。
古民家再生協会の評価?!
聞くところによると、全国で古民家の評価を行なう古民家再生協会によれば、「明治〜昭和・平成にかけて長久手の農民の暮らしぶりが証明出来る貴重な資料になると評価」しているらしいですがこの一文は意味不明です。
また同協会の代表理事が目視で評価し、「江戸時代から使用されている部材と、劣化を防ぐために適切な修繕・管理がされており、少なくとも数千万円の価値があるのは明らかという事でした。また、白川郷の合掌造りと同じレベルだと表現され、仮に同じ建物を建てようとするならば、余りにも希少なため不可能とした上で、億単位になるのは間違いないと仰られていました」と語ったとのことです(市議会議員 ささせ順子氏のHPより)。
これはどうも首を捻るしかない評価だと私は思います。白川郷の合掌造りとは建築構造も勿論まったく異なるだけでなく同じレベルで語られるのかどうかか。白川郷の合掌造を持ち出してくるとは噴飯物ではないでしょうか。長久手中心街からも10分で行ける東部丘陵の山中(住所は瀬戸)に実際の合掌造りの建物が昭和時代に飛騨白川村から実際移築されてきたものが直に見えるので(中にも入れます)、よく両建築物を見られるのが良いと思うところです。
長久手から東部里山エリアからクルマで僅か数分のところにある白河郷から移築されてきた「合掌造り」。
ちゃんと内部も見学でき2階にも登れます。
近くレポートします!
古民家の壁面は補修した部分とかなり以前のもが同時に存在し、色も朽ちて、全体的に侘びてグラフィカルで写真的にはなんとも趣きがあったりしますが、、。
古民家の側面の写真はこれまで出ていなかったはずなので、側面も写して見ました。後ろも写しましたので内部と一緒に近日、掲載します。
となりの日進市にある旧市川家住宅(国登録有形文化財)
隣の日進市に保存されている有名な旧市川家住宅は見ておくべきでしょう。その違いは歴然です。日進市役所や消防署からもほど近い飯田街道沿いにあり、この界隈を散歩していてもこの光景に出会うことになります。
市川家はこの地の庄屋さんだけあって立派な主屋とお庭があります。基本的には「見た目」は江戸時代の民家としては全国的に見て一般的なものとのこと。長久手の古民家とは2つほどグレードが違う気がします。とにかく長久手の方は一般的な農民が長く暮らした貴重な民家ということなので比較はできない部分も勿論ありますが。詳細は近日レポート。
建物は250年程前(江戸時代中期)のもの。それ以前には名古屋の天白区に50年程経っていた当時にこの地に移築されて以降ずっと建っている建築物とのことです。現在、居間で大きな雛壇が準備されている最中でした。
竈門や座敷、縁側だけでなく裏には蔵もありトータルにさすが国登録有形文化財なのです。隣の市の古民家と競い合うこともないでしょうが、あまりの違いに愕然とするのは私だけではないはずです。これまで様々なワークショップの積み重ねや意見交換会、移築後に学生の皆さんやボランティアの方々の参加、さらに調査費、国の補助金や寄付のことなど無碍にできないことも十分承知ではありますが、旧市川家でみるように運営も企画もここまでやらないとせっかくの移築も、話題性をどこまで継続させていけるか。今後、事業費も相当に予測される中、総予算1億円になる可能性も出ています。ランニングコンストも馬鹿になりませんね。
付け加えれば長久手の当時の素朴な暮らしを追体験したりイベントをしたり、宿泊体験をしたりという企画も出てるとのことですが、夕暮れから夜も明るい巨大なAEON長久手店がすぐ隣り、リニモも夜中過ぎまで走っているなか、宿泊体験はなんとも中途半端にならないでしょうか。ならば東部里山の真っ暗な闇の中でこそ思い切って行う価値も高まるのでは(里山移築のアイデアもかつて出ていましたね)。私個人的にはそう考えるのですが。古戦場公園と古民家、複雑方程式はどんな解が出るのか。想像を超えるような新たなヴィジョンも出るかも知れません。
古民家再生協会とは一般社団法人です
届出さえすれば公序良俗の反しない限り設立可能です。
どのような事業内容であっても適法である限り、自由です。
公益性など不問です。
この団体は古民家を再生することが最初からの目的で建築業者が中心でできた団体です。
よって当然古民家保護再生が結論となるでしょう。
そのような団体の評価が公正で権威ある評価と言えるでしょうか。