長久手古戦場公園再整備工事の初期スキームにあたるであろう3つの築山の取り崩しが2月に入って一気に進んでいます。県芸術大学で数年かけ精巧な模写が進んでいる「長久手合戦図屏風」が展示される「ガイダンス施設」の新設や、「歴史民俗資料館」もまた新設されるとのこと。
3つの築山があった場所は、その「歴史民俗資料館」か、はたまた芝生広場になる予定のようですが、今後かなりの予算が投入されるであろう「歴史民俗資料館」は本当にできるのか? 「歴史民俗資料館」は新設ではなく、移築された古民家が充てられる(?)。いや、やはりすべて新設で、古民家は別途広場の辺りに移築になる?!
このあたりの話になると、多くの市民含め普通に情報に接っする範囲ではどうも分からなくなる。
では、「現場」の工事はどうなっているのか? ならば直に進捗を見てみよう、から出発したレポートです。
古戦場公園は近くの保育園・幼稚園の遠足の場所でしたが、今年の1月から柵が設けられ入園することはできなくなりました。
1月下旬の巨石が露わになった築山から、さらに、、、。
通りからはまったく公園内の工事の様子は見えません。
2月上旬には、巨石を取り除かれた3つの築山の盛土は、工事重機によって恐らく予定通り徐々に削り取られていきました。
築山だけでなく、庄九郎塚やその奥にある広場までかなり広域な整備工事になっていることが分かる。
この一帯も、築山のさらに向こう側のゾーン。市発表の「古戦場公園再整備イメージ」では、この一帯は「芝生広場」になるようだ。
左端のゾーンが、歴史民俗資料館(古民家移築?)が建設される場所になる予定の場所。
まず2つの築山はすっかり姿を消しました。
右端のかつての一番右の築山辺りが歴史民俗資料館(古民家移築?)が建てられるあたりか。