市の古民家取り扱い方針は昨年次のように決定していました。「記録を残した上で、古民家の再利用可能な一部部材のみを活用し古戦場公園に移築する」というものです。古戦場公園の西側に設けられる予定の新たな「歴史民俗資料館(歴史民俗体験施設)」にどのような形で移築(部分移築か、一部部材の活用のみ?)されるのか、ここでは古民家の骨格、その内側を拝見させて頂きましたので、ぜひ一緒に今一度確認してみましょう。
ここが入り口です。1mほどの高さの引き戸になっています。
引き戸の裏側を見ると出入り口全体がかなり丈夫に修復されていることが分かります。
かなり年代物の鍬が掛けられていました。太い梁が印象的です。
土間の上部の構造はなかなか複雑に交差しています。
家屋は「鳥居建て」形式で、2本の鳥居柱に大梁があり、鳥居柱筋に上家を支える数本の上家柱があることが古式であるとのこと(市の調査結果より)。
恐らく市の古民家取り扱い方針として、「記録を残した上で、古民家の再利用可能な一部部材のみを活用し古戦場公園に移築する」方向のようだ。古戦場公園の西側に設けられる予定の新たな「歴史民俗資料館(歴史民俗体験施設)」にどのような形で移築(部分移築か、一部部材の活用のみ?)されるのでしょうか。
関東地方の同じくらい古い民家の情報を一つ
ちなみにこちらは東京・板橋区の古民家旧粕谷家住宅(板橋区指定有形文化財から、2018年に東京都指定有形文化財に)の画像です。建築年代も江戸中期でだいたい同じ時期で(1723年)、関東地方の古い民家に認められる特徴を多く残し、関東地方では最古級に属する古民家の一つとのこと。ふるさと納税を活用したクラウドファンディングが2度実施され復元整備工事が2年かけて行われました。現在は旧粕谷家住宅として都民に一般公開されています。
再び、長久手市の古民家の資料画像へ
これを機会に江戸時代の古民家について調べたり見たりすること、これも面白いし重要です。
太い大梁の上に頑丈な構造があるのが分かります。これが神社の鳥居に似ていることから「鳥居建て」形式と呼ばれています。
2階はこんな様子。日進の旧市川家もそうですが階段は勿論ありません。恐らく梯子があったのでは、2階の奥にうっすらと梯子が見えます。
軒はこんな感じです。
西側から見た古民家
真横から見た古民家
裏にまわるとこんな感じ。真後ろに小さな小屋があります。
後背の様子と後ろの小屋
古民家の前の庭には、幾つもの鉢植え