古戦場公園への古民家移築にともない石田交差点近くにある古民家の解体工事が始まっています。母家の手前にあった古屋が解体撤去され、11月からは本丸の解体工事に取り掛かっています
解体工事にあわせ移築先の古戦場公園西側ゾーンでも公園内園路の整備が始まっています
どんな進捗状況にあるか訪ねてみました
古民家解体工事のための養生シートが建物の周囲に取り付けられました(先月11月)
工期は10月1日〜令和7年3月31日
母家の前にあった古小屋を解体したら県道からすぐ脇に古民家がくっきりと見え(残念ながらその時の写真は無し)、元々の庭を新規に整備し一体的にリノベーションを施したらどうだったのだろう、という思いが頭をかすめた
このロケーションはバス通りの県道215号線に面し交通量も極めて多く(日進の古民家市川家と比しても)日差しもよく入り、あらためてみても意外と場所柄もよい。ここを通るドライバーはほぼ認識できるという好立地にあったと言える。費用も減縮でき流だけでなく「長久手 文化の家」からも近く(徒歩2〜3分)「文化(BUNKA)」と「古民家(MINKA)」の動線もみえていた
途中には香流川にかかる石田橋から見下ろせば川面から亜炭の塊が透けて見える。亜炭は江戸期から昭和30年頃まで長久手経済を活性化させた燃料である。亜炭経済で活況を呈し、旅館も2軒、カフェにビリヤードと岩作銀座商店街は大賑わいだったと聞く
また石田交差点近くには、戦国時代にもう一つの岩作の城跡(岩作西城)がかつてあったとされ、ちょっとした歴史文化の小径もイメージできよう。そして図書館通りを上った桧が根は秀吉軍唯一の勝利地でもある桧ヶ根公園の地(桧ヶ根の戦い)は、堀秀政が陣を張った場所。
かつては道は無かった「図書館通り」沿いは、戦国〜江戸〜明治〜昭和〜平成がつらなる一本道、歴史と文化が交差する一つの<歴史街道>に変貌していたのですから
古民家からすぐ近く、香流川に架かる石田橋から川面を見下ろせば今でもあちこちに見える「亜炭」
それこそ今日の高い燃料代の代わりに安い家庭用燃料だった亜炭が脚光を再び浴びる時代に?!
実際に太平洋戦争中や敗戦後、燃料が無く高コストになった時に重宝された家庭用燃料でした
古戦場公園 西側ゾーン・園路も整備工事へ
再来年(2026年春)に建設中のガイダンス施設ができるに併せて公園西側ゾーンへ通じる園路も整備中
移築される古民家は、西側ゾーンに予定されている「歴史民俗資料館」の附帯施設として体験展示施設として活用されるとのこと。再整備基本計画に明記されている「歴史民俗資料館」に関しては、具体案は現時点で分からず
再整備基本計画には、歴史民俗体験施設は、古民家と納屋・収蔵庫とあるが果たして「歴史民俗資料館」は建設されるのであろうか。最終的にほぼ古民家だけにな李、今ある郷土資料館に収蔵庫などが集約される可能性も
古民家の活用には、昔の農機具や家財道具の展示や挽き臼やわらじ作りなどの体験、長久手の歴史を一体的に学習できる場所とする方針が今のところでているようです
また方針の中には、古民家移築される西側ゾーンに樹木を増やし、自然との共生とどこか懐かしさを感じさせるジブリの世界観を再現したい、という方針も併せて提出されています。ジブリの世界観をということであれば、古戦場公園内に無理目に動線をはるのではなく、市の東部里山エリアこそが世界観的にはフィットするはず。ただこれには場所の選定など時間的余裕がもはやないでしょう
古戦場は今から450年余も古く、江戸後期の古民家の時代感とも隔たり、口悪く言えば古戦場観光の演出部門くらいかもしれません。演出するからには相応のコンテンツづくりやマネジメントやディレクションが要請されるでしょう
「長久手合戦」の歴史的重要性は、これまで中学・高校の歴史教科書で記述もほぼなく素通りだったのが今後変わっていくかもしれません。この長久手合戦古戦場は、新たにガイダンス施設ができ、真の「天下分け目の戦い」に相応しい場所になっていくことを大いに期待します
近い将来、移築された古民家において様々な催しや展示、交流の場となるとのことで、新たな古戦場公園への別のアングル、ベクトルが導入されることが期待され、市民や来場者にとって交流の場となり歴史的想像力が活性化されることを期待します
古戦場公園内の丘から建設工事中のガイダンス施設方面を望む
庄九郎塚。庄九郎は池田恒興の長男・池田元助の幼名。26歳で父とともにこの地で討死
先日出版された平山優氏(NHK大河「どうする家康」「真田丸」の時代考証)が最新研究をまとめた新著『小牧・長久手合戦』(角川新書)では、「天下を決定づけた歴史の分岐点は、この大戦にあった」とし、「勝者が天下を掌握する、関ヶ原の比ではない真の「天下分け目の戦い」だったと著した
「小牧山城史跡情報館(れきしるこまき)」と施工会社は同じ
ガイダンス施設の工事も進捗中。施設建設請負は岐阜大垣にある株式会社宇佐美組(建築工事のみの施工)
建築施工会社の宇佐美組は、2022年に「小牧山城史跡情報館(れきしるこまき)」を施工している
ちなみに設計管理は、向かいに建つリニモテラスと同じ東畑建築事務所
「小牧・長久手の戦い」の「小牧」と「長久手」の両方の史跡情報施設を宇佐美組は担った
大垣の大垣城といえば長久手合戦でこの地で落命した池田恒興が、1583年から討死した1584年まで1年間城主であった。なんと因果なつながりのことか