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名古屋市で2番目に高い山「親鸞山」は、長久手市との市境にあった/日進市の「五色園」創立との深い関係【Nagakute Times】

スーパー ピアゴパワーより、ほとぎの里緑地方面。奥の小高い山並みの一番左側の山が「親鸞山」
丘陵の中の少し高いところといえばそれまでですが、ちゃんと山名が昔からついています

「親鸞山」の頂上から東側、長久手市が洞方面の眺望

長久手市南部の市が洞地区に広がる「ほとぎの里緑地・散策路」への登り口から出発!

「市が洞三丁目公園」のすぐ隣、「ほとぎの里交流館」の手前にこの案内図は立っています

ほとぎの里緑地・案内図から少し上ってきたところ。整備された散策路が続きます

散策路入り口から250m、3分程の場所。南北に走る尾根にでます

展望デッキへ至るルートと名古屋の極楽方面に至るルートに分かれます
ふつうに散策路を辿ると、展望デッキがあるルートを辿っていくのですが、「親鸞山」は展望デッキの方角ではなく、名古屋の極楽方面に辿るルートにあります
ここから南方のルートを行くと途中、下坂になるので、まさかそこから名古屋で2番目に高い山があるとは思えず道を間違えたかと思い、一旦引き返してしまいました、、。

このT字路の標識には、「親鸞山」の方角を示す標識は付いていません。あしからず

頂きのすぐ下にある御嶽神社。設立は大正10年(1921年)

高針心願講を設立した浅井勝次郎で、木曽の御嶽山をこの山に勧進したと伝えられています
かつて明治時代には「高針御嶽山」、あるいは「極楽山」と呼ばれていたといいます。山を下った地は、現在でも「名東区極楽」という地名です

そして大正期に、浄土真宗の大物布教者・森夢幻(30万人の信者を持っていた)がこの地に「極楽寺」を創建、昭和に入って「極楽山」頂上に34m(台座含む)もの高さの<親鸞像>を建立する一大プロジェクトを構想しています

ただ昭和初期、社会情勢は動き出し思うようには寄付金が集まらず、親鸞像建立は実現しませんでした。気宇壮大な親鸞像を建てるという思いが、信者や地域の皆の集合無意識となっていつしか山名を「親鸞山」と呼ぶようになっていったようです

森夢幻の構想では、山頂に34メートルもの巨大な親鸞像が建立される予定だったという


日本で唯一といわれる仏教テーマパークの五色園 / 池の畔に立つ親鸞塑像


広大なに親鸞聖人の行跡、教えの名場面がジオラマとして展開されています。園内各所に点在する約100体の塑像は約10年かけて製作されました

このコンクリート塑像を制作したのは今や愛好家も多い浅野祥雲です(五色園、関ヶ原古戦場、犬山の桃太郎神社が浅野祥雲によるコンクリート塑像が大規模に展開され「三大聖地」とされています)

頂きからは日進岩崎の御嶽神社がある山並みが見えます

この記事を書いた人
1960年 長久手生まれ。上郷保育園、長久手小学校、長久手中学校へ。菊里高校、青山学院大学英米文学科卒。英字新聞部「青山トロージャン」所属。編集プロダクションのMatsuoka & Associatesにて学び、編集工学研究所入所。 1990年、洋書写真集・美術書をリースするArt Bird Books設立、1992年中目黒駅前に店舗を構える。2009年から代官山蔦屋書店にて主に写真集のブックコンシェルジェとして勤務。2020年、Uターンで地元長久手に戻る。 『Canon Photo Circle』誌の写真集コラムを1年間連載後、「長久手タイムズ」を始動。 mail address:nagakutetimes@gmail.com

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