守山区の東谷山198mに次ぐ、名古屋市で2番目に高い山が、なんと名古屋市名東区と長久手市との市境にあるのをご存知でしたでしょうか。山名は「親鸞山」(110.6m)
長久手南部のほとぎの里緑地に足を運んだことがある方は、山名を少しは聞いたことがあるかも知れませんが、多くの方はご存知ないかも知れません
今回、私も「親鸞山」に初めて登ってみました
なぜ「親鸞山」という名前が付けらているのか。浄土真宗の開祖・親鸞聖人に因んでいるのでしょうか
「親鸞山」の頂上からは、長久手南部と日進竹の山一帯の景色、猿投山も眺望できます
ぜひ一度、名古屋市で2番目に高い山を登ってみてはいかがでしょう
スーパー ピアゴパワーより、ほとぎの里緑地方面。奥の小高い山並みの一番左側の山が「親鸞山」
丘陵の中の少し高いところといえばそれまでですが、ちゃんと山名が昔からついています
「親鸞山」の頂上から東側、長久手市が洞方面の眺望
長久手市側から親鸞山に登ってみた
長久手市南部の市が洞地区に広がる「ほとぎの里緑地・散策路」への登り口から出発!
「市が洞三丁目公園」のすぐ隣、「ほとぎの里交流館」の手前にこの案内図は立っています
ほとぎの里緑地・案内図から少し上ってきたところ。整備された散策路が続きます
散策路入り口から250m、3分程の場所。南北に走る尾根にでます
展望デッキへ至るルートと名古屋の極楽方面に至るルートに分かれます
ふつうに散策路を辿ると、展望デッキがあるルートを辿っていくのですが、「親鸞山」は展望デッキの方角ではなく、名古屋の極楽方面に辿るルートにあります
ここから南方のルートを行くと途中、下坂になるので、まさかそこから名古屋で2番目に高い山があるとは思えず道を間違えたかと思い、一旦引き返してしまいました、、。
このT字路の標識には、「親鸞山」の方角を示す標識は付いていません。あしからず
長久手市側から親鸞山に登ってみた ↑
頂きのすぐ下にある御嶽神社。設立は大正10年(1921年)
高針心願講を設立した浅井勝次郎で、木曽の御嶽山をこの山に勧進したと伝えられています
かつて明治時代には「高針御嶽山」、あるいは「極楽山」と呼ばれていたといいます。山を下った地は、現在でも「名東区極楽」という地名です
そして大正期に、浄土真宗の大物布教者・森夢幻(30万人の信者を持っていた)がこの地に「極楽寺」を創建、昭和に入って「極楽山」頂上に34m(台座含む)もの高さの<親鸞像>を建立する一大プロジェクトを構想しています
ただ昭和初期、社会情勢は動き出し思うようには寄付金が集まらず、親鸞像建立は実現しませんでした。気宇壮大な親鸞像を建てるという思いが、信者や地域の皆の集合無意識となっていつしか山名を「親鸞山」と呼ぶようになっていったようです
名古屋市側から親鸞山に登ってみた ↑
森夢幻の構想では、山頂に34メートルもの巨大な親鸞像が建立される予定だったという
「親鸞山」頂上の34mの親鸞像は幻となったが、
昭和9年、宗教テーマパーク「五色園」を創立
「五色園」創立者・森夢幻の立像(日進市・五色園内)
森夢幻は日進の北部丘陵地帯に約20万坪の土地(東京ドーム13個分)を購入し、壮大な宗教公園を整備するかたわら園内に建立した大安寺の初代住職となります
森夢幻の大プロジェクトは、「五色園」完成以降も続き、昭和25年には京都・八幡市に「五色園」をさらにバージョンアップさせた「万国史蹟宗教公園真修五色園」を構想し京都府も賛同し地鎮法要式も終えていたようです
新たな「五色園」には、観光ホテル、動物園、水族館、昆虫館、図書館も予定されており、当時としては日本最大級のテーマパークを構想していました
日進の五色園も、宗教施設を中心に、宿坊や温泉施設、動物園、弓道場を備えた一大テーマパークでした
「昭和の親鸞」と呼ばれていた森無幻(信者30万人)
日本で唯一といわれる仏教テーマパークの五色園 / 池の畔に立つ親鸞塑像
広大なに親鸞聖人の行跡、教えの名場面がジオラマとして展開されています。園内各所に点在する約100体の塑像は約10年かけて製作されました
このコンクリート塑像を制作したのは今や愛好家も多い浅野祥雲です(五色園、関ヶ原古戦場、犬山の桃太郎神社が浅野祥雲によるコンクリート塑像が大規模に展開され「三大聖地」とされています)
頂きからは日進岩崎の御嶽神社がある山並みが見えます