日本に数ある神社の中でも天皇の名前がそっくりそのまま社名になっている神社はほぼありません。ふつうは伊勢神宮や明治神宮の様に、神や天皇を祀る神社は「神宮」と付きます。神社名一つとってみても長久手の影行天皇社はどうも普通ではない稀な歴史を有している神社であることが窺い知れます。
九州の熊襲や美濃を平定し、また邪馬台国を統治(倭国統合)したとも言われる影行天皇はあの卑弥呼の弟(異母弟)であるとする一説も根強くあり(あるいは叔父さん説)、影行天皇社には非常に興味深い歴史が秘められているようです。
昭和30年代より改築修造が重ねられていきます。この鬼瓦はその際のもの。社殿は平成9年に竣工されました。現在は影行天皇社の神紋の橘紋が、拝殿の頂きの鬼瓦に金色に輝いているのがうかがえます。拝殿の紫幕にも左右に大きな橘紋があしらわれています。
影行天皇は在位の時代からあの卑弥呼とほぼ同じ時代に実在していた人物だと言われています。そして一説に、影行天皇こそは、<卑弥呼の弟>とであるとも。
それは卑弥呼の弟が、邪馬台国を直接統治したという歴史書の記載から推測されているようです。影行天皇はヤマトタケルに劣らず勇猛果敢な類い稀な天皇だったようです。
市の指定保存樹木「コナラ」
関ヶ原の戦いを前に、徳川家康公が立ち寄り奉納した刀。
長久手合戦で秀吉に勝利した徳川家康が、関ヶ原の戦いに向かう前に影行天皇社に立ち寄り<戦勝祈願>をした際に奉納した「刀」。写真は古戦場公園資料館での「徳川家康と四天王」展での展示の時のもの。
本殿と並び、津島社・神明社・白山社の三つの末社がある。
令和5年警固祭りでの御神楽