佐藤市長は8日に古戦場公園への古民家移築計画について、「中止」するとしていた方針を撤回し、古民家の移転事業に関することは市教委に委ねる意向を示したとのことです。翌日の「中日新聞」でその理由が述べられています。市長の移転事業を中止する判断は「越権」であると指摘を受けたためと記事にはありますが、平成31年に見直し改正された文化財保護制度に基づけば「越権」であるという指摘は間違いであることを、ここに「指摘」したいと思います。
「中日新聞」3月9日付け朝刊より転載 文・伊藤ちさと記者
「文化財保護行政は、教育委員会固有の職務」というのは、昭和30に交付された古い制度におけるもの。平成25年にその在り方について議論がなされ、平成31年に見直された制度が交付されています。
こちらが「文化財保護行政の在り方について」文化庁 平成25年配布
この6年後の平成31年に「文化財保護制度の見直しについて」が配布された。下記に掲載しましたので確認して下さい。
文化庁 平成25年8月7日付け資料「文化財保護行政の在り方について 」より転載 以下同様
地方の文化財保護行政の制度の見直しの経緯 ↓
複数の自治体から文化財保護行政の事務の選択性を求める要望
文化財保護行政が、教育委員会と首長部局にまたがっているため指揮系統が複雑化してしまうため制度の見直しへ
職務の改正内容:
制度の見直しで、「文化財保護行政の事務」は、所管は教育委員会であるものの、地方公共団体の長が担当できることに!
「文化財保護制度の見直しについて」平成31年1月(2019年) 文化庁 ホームページへ
転載元:「文化財保護制度の見直しについて」文化庁 平成31年(2019年)以下同様
*長久手市には「地方文化財保護審議会」が置かれています。
文化庁「文化財保護制度の見直しについて」(平成31年1月)より転載 p4
笹瀬順子議員が代表質問での「文化財保護行政を市長部局に移管するには条例が必要である」と、ただしたと「中日新聞」上にて記載されていますが、平成31年に文化庁ですでに交付されているので、条例は必要ではありません。そもそもそうした条例は各自治体ではつくれないと思いますし。
条例によって、文化財保護の事務は、教育委員会の所管官庁とされているが、地方公共団体の長が担当できることとする、と制度は改正されています。
一方で、二転三転したこれまでの長年の経緯があるのも事実であり(お金の流れ、人的交流など)、もはや白か黒かではなく、最低限共有できる価値や思い、可能性を重視されるのがベターなのでしょう。しかしながらどこかで読んだのですが警固祭りで使用される「草鞋」を古民家で皆で作ったらどうかというアイデアも出ていたようですが、「草鞋」を作るのに何千万円かけて移転しさらに維持運営するのはどうなんだろう(石田の場所でも十分できることを思えば)と思うわけです。
もう一つ認識しておきたいのは、石田の移民家はそもそも「指定文化財」ではなく、「未指定文化財」であるということです。日進の国の登録文化財の旧市川家などと比較しても魅せる部分はほんの一部だけで、集合された強い思いや期待のなかで突っ走ってしまったように側からみえてしまうことです(様々な出会いやタイミングということもあったでしょう)。同じ程度に江戸時代中期の古い古民家(しかも良好な改修済み)は長久手市内にまだ数件あると数日前にとある人から聞いたばかりです。
一軒の古民家の存在からいろんなアイデアを巡らしたり皆で研究・調査、学習・体験することもあるわけでもし移転(部分的移転含め)となったら管理・運営には相当な覚悟と協力体制が今以上に必要になってくることは間違いないと思うところです。
わたくしは貴殿と同じような理由で移築反対の立場です。
しかし、貴殿の「条例は必要ではありません」については小生の理解はほぼ新聞記事の通りで
・地方自治法の改正でそれぞれの自治体で条例を作ることにより首長の管轄に置くことが可能となる
・条例とは国とは別に地方自治体が独自に制定する法律です。
と理解していますがいかがでしょう。
このような理解でまだ条例のない現状では教育委員会が所管であると思っています。
そのうえで移築を中止するために市長権限でできることは以下のような様々な手段があると思います。
①市長方針の障害となる人事に手を付ける。
②教育委員会を指導して市長方針を理解させる。
③これから提出される資料館の整備予算で対抗する。
④所要の条例を作ったうえで市長権限で中止する。
以上4項目を私から市長に具申してあります。
さらに追記しますと
笹瀬議員の主張のように決定プロセスを問題とするなら
そもそも古民家の寄付を受けた時点で市の方針は現地保存(移築はしない)でした。
それにもかかわらず全面移築になったプロセスから見直しをする必要があると思っています。
例えば
・寄付者に移築を約束したのか
・その後の方針転換プロセスで教育委員化がどのようにかかわったのか
・移築決定のプロセスで全く予算が示されていない。予算を伴わない事業決定など普通ありえない。
などの疑問点が挙げられます。
「長久手タイムズ」の「日進の旧市川家を訪ねる」レポートで、場所は石田のままでいいではないかという
一文を掲載しました。「文化の家」と「江戸の家」のツアーコースにもなれば、長久手の西側の中心を「文化の家」、
東側を「福祉の家」を地域の拠点として将来の長久手を構想した当時の加藤梅雄市長の地域ヴィジョンからすれば、
「文化の家」に「江戸(暮らし)の家」が徒歩2分で往来できるのは逆にうってつけのロケーション。古戦場公園に移築し無理
やり関係のない古戦場と繋げる必要性は乏しいばかりか、せっかくの「古民家」こそ「江戸時代の暮らしや文化を育ん
だ家」であるならば無理に石田の場所から引き剥がすのは(文化的)蛮行になるのでないのか、そう思っています。
(移築には必要に迫られた移築があることは大前提での話です)。
https://nagakutetimes.com/wp-admin/post.php?post=10144&action=edit
旧市川住宅は、昔の飯田街道添いにあり今日の日進では人だかりの多いとは言えない昔からの場所に建っています。
石田の古民家は、多少引っ込んだ場所にあったとしても「文化の家」と目と鼻の距離。しかも図書館通り添いで、
「図書館」の様々な企画と連動させてもいくらでも活性化できるのではと。
移築構想の前に、さまざまな可能性や連動性を考えたのか、移築論争とは別に、大いにある可能性のこと
を少しでも考えに入れておくのが良かったのではと思っております。
文化庁の地方自治法改正についての私の理解
・条例が制定されていない長久手市においては従来通り教育委員会が所管する。
・条例制定を前提として首長に権限を移管できる。
・条例は国とは別にそれぞれの自治体が制定するものです。
市長が方針通り移築を中止するには例えば次のような手段があると考えます。
①当初の現地(石田)保存を移築に方針転換したプロセスの瑕疵を検証
②教育委員会と市長方針のすり合わせすること
③歴史資料館整備の予算で対抗すること
④所要の条例を制定して市長権限で中止する。
⑤etc
古民家再生協会につきまして、私も疑念を抱いていました。
「長久手タイムズ」内の古民家移築に関する関連記事でも書きましたので、まさに結論ありきの評価がなされていて大いに問題だなと判断した次第です。
https://nagakutetimes.com/wp-admin/post.php?post=9022&action=edit
文化庁の地方自治法改正についての見解です。
「地方における文化財保護行政に係る制度の見直し③改正内容」に注目してみますと、
「文化財保護の事務は、教育委員会の所管とされているが、条例により、
地方公共団体の長が担当できることとする」(地教行法の改正)となっています。
そしてこの文面は、地方自治法改正ではなく、地教行法の改正による「条例」
のことではと考えます。
文化財保護行政の改正でも、地教行法の改正においても、教育委員会やその長の考えと、
民意を受け新たに誕生した自治体の長の構想とのズレや溝をどう調整していくのかが
主要な課題の一つでした。本案件もまたその一つと言えます。
③歴史資料館整備の予算で対抗すること
これについて2週間ほど前ある方から現在ある「郷土資料室」の取り壊し費用が出ない。
そうなると「郷土資料室」を残したままその横にガイダンス施設を新築することになり
ます。構想では「郷土資料室」を新たなガイダンス施設に新築することになっていました。
そんな状況下で、今後どれほど予算がかかるか概算もよめない古民家移築と修繕・管理・
企画策定・維持・運営費用は一体どうなるのかと危ぶまれます。
①当初の現地(石田)保存を移築に方針転換したプロセスの瑕疵を検証
まったくそうだと思います。