東北地方を中心に日本各地で「クマ」が里山や市街地での目撃や人身被害のニュースが、毎日のように報道されています。愛知県でも2025年の現時点で14件の確認情報がでています
また今年、瀬戸市でも定光寺近くと猿投山北西部・赤津付近でも目撃があります
ただ、12月前後の冬眠前の食い溜めで歩き回るので、1ヶ月後には出没情報もほぼなくなると思われます
さて、長久手東部の地名の「北熊」や「前熊」や「熊張」など、「熊」の付く地名が幾つもありますが、かつて長久手に「熊」がいたのではと思われる方もおられるかもしれません。実際のところどうだったのでしょう
それではまず愛知県のクマの目撃情報をチェックしてみましょう
2025年 愛知県でのツキノワグマ目撃情報
現時点で14件の確認情報 瀬戸市で2件

出典:愛知県発表情報「ツキノワグマについて」
瀬戸市での目撃情報2件
瀬戸の常光寺近く(下半田川町地内)と猿投山北西部の瀬戸市片草町地内
◉上記以外、今年の7月に猿投山南部山麓でも目撃情報あり
[目撃場所]東の宮に上がる公衆トイレのある分岐から、猿投神社方面へ向かう道路脇
(目撃者が驚いて声を出したところ、唸り声をあげて山に入っていったとのこと)
2025年 現時点では、人身被害の発生の情報は無いとのこと
また愛知県内では、ヒグマは生息していません
「ランニング・ジャーナル」(トレイルランナーは要注意! 令和7年度の愛知県内クマ目撃最新情報)
クマは三河の奥地の山間部から、三河地方西部での
目撃がじょじょに増えている傾向とのこと

2023年のクマの確認地点情報(愛知県発表情報より)
瀬戸南西部・猿投山山麓(一部豊田市側)合わせて4件、春日井市、犬山市でも目撃されました
<ツキノワグマと共生>する豊田市
となりの豊田市は、愛知県で一番広い面積を有し、名古屋市の面積の326平方kmの2.5倍以上の918平方kmもあります。北部や北都部の「稲武」や「小原」地区は岐阜県と長野県境の山間部と山続きで、クマの目撃情報は山間地域を中心に各地で確認されているとのことです
下のマップを見るように、現在では西部地域以外、クマとの遭遇がいつ、どこで起きても不思議ではない状況となってきたといいます

豊田市でのクマの確認地点(出典元:豊田市公式ホームページ)
数年前には、長久手市との市境近くにまでクマが出没していたことがわかります(去年、今年は無いようです)
◉「ツキノワグマと共生する豊田市」豊田市公式ホームページ
◉「クマを出没させない村づくり 豊田市で4月〜9月のクマの目撃情報29件」(「中日新聞」記事へ)
尾張丘陵には「クマ」の好物のコナラ・クヌギの「ドングリ」が豊富
長久手も古戦場公園も含め、コナラ・クヌギの樹木は各地に
[尾張丘陵]犬山〜春日井〜名古屋守山区〜尾張旭〜瀬戸〜長久手〜豊田〜日進〜東郷、さらには名古屋市東部・南西部〜豊明〜大府一帯まで海抜100m以下の広大なだらかな丘陵が続き、クマが大好きなブナ科のコナラ・クヌギの果実のドングリも豊富にあります
去年、今年と特に東北地方を中心にドングリが凶作と報道されていますが、かなり幅のある丘陵地隊であり、その奥地の山間部から「クマ」が出没してくるのは現時点ではかなり限られています(例外的に犬山、春日井、瀬戸の山間部よりでは目撃されていますが)

尾張旭のスカイワードあさひの展望台からの東方面の眺望 右奥の街並みは瀬戸市
奥の山並みの手前に広がる「尾張丘陵」。長久手含め尾張東部の街は主にこの森林が豊かな尾張丘陵を開拓して築かれました
これまでクマの出没のほとんどは「尾張丘陵」からもかなり奥まった山間部に限られていました
尾張丘陵には「クマ」の好物のコナラ・クヌギの「ドングリ」が豊富
長久手も古戦場公園も含め、コナラ・クヌギの樹木は各地に


長久手・前熊地区の田圃風景 / 尾張丘陵にある「愛・地球博記念公園」内の森林地隊
地名にある「熊」とは、昔、「熊」がよく出た場所?
いえ、そうではありません
長久手東部の「北熊」とは、「北側の奥まった隅っこの場所」の意味
日本の各地の地名に「熊」が付く場合、ほとんどは動物の「熊」に由来するのではなく、「音(おん)」に当て字をしたことから付いたことがほとんどだといいます
地名にある「熊=クマ」という和語は、山や川が「曲がりこんで奥まったところ」「奥まった隅っこ」というのが大元の意味の一つだということです
例えば「クマなく探す」と言うとき、それは「隅っこまでしっかり入念に探す」という意味ということからもそれはわかります
「熊」以外にも、「隈」「曲」「球磨」「久万」などの文字も当てられてきたといいます

北熊地区、前熊地区、大草地区が交差する辺りの香流川 とくに東部はゆるやかな蛇行で流れていきます
「クマ」とは、川の<湾曲部>を指すことも
また、<川の湾曲部=クマ>とも言います
前熊も北熊も、香流川や神明川が運んだ良質な土砂が堆積し肥沃な場所となったため、農耕の適地となり古えより開発が進みました
「クマ」という地名は、こうした川の湾曲部が生み出した農耕に適した場所に命名されることが多かったとのこと
「北熊」の「クマ」も、前述の「北側の奥まった隅っこの場所」という意味に加えて、北熊地区を流れる明神川や香流川が生み出す肥沃な場所を指していたのではと思われます


湾曲して流れる香流川。その流域に農耕に適した肥沃な土地が生み出されています / 前熊の田圃
1878年(明治11),、北熊村・大草村が合併し、熊張村となりました。「熊張」という村名もまた全体で見れば、東西に広がった「香流川の流れが曲がって奥まったところ」の集合体であり、川の湾曲部が生み出した農耕に適した場所という土地柄から付けられた村名だったのであろうと推測されます
ジブリパークも「北熊」地区にあります

サツキとメイの家が建つ場所も長久手市の「北熊」地区の丘陵のなか
愛・地球博記念公園、ジブリパークから、5〜6km先の原生林が生える猿投山山麓には、ツキノワグマが生息しています
猿投山山麓は山深いことと頭数も少ないようなので、尾張丘陵や平地には出没することは今のところありません

北熊の雑木林の中の道路脇にあったタヌキの置き物と瀬戸物の甕
昭和10年代までに森林の多い丘陵でよく出没した動物は
イノシシ、キツネ、タヌキなど
戦前までは人里でもキツネ、タヌキはよく出没
平成の頃までノウサギやイタチも生息
現在もイノシシ、アライグマ、ヌートリア、ハクビシン
そしてキツネ、ニホンカモシカも生息しています
江戸時代、前熊の南部一帯の丘陵地(以前は桃の木畑、現在は大小の農園)は、シカの禁猟区に指定されていたとのことです
国の天然記念物ニホンカモシカの目撃情報は2025年5月岩作の丸根付近とのこと
◉「長久手市鳥獣被害防止計画」
北熊の春の風景