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杁ヶ池公園の主、駒村和廣さんに聞く(1)杁ヶ池公園との出会いと植樹活動【長久手タイムズ】

1人当たりの都市公園面積で、長久手市は30m平米で、愛知県で第一位になっています。それには愛知県営の大型都市公園のモリコロパークの存在が大きく貢献していますが、それ以外にも市内には市民の憩いの公園が数多くあります。とりわけ市の南西部にある杁ヶ池公園(Irigaike Park)はその代表的な市民公園です。
今回、杁ヶ池公園を誰よりも知悉し、植樹活動から樹名板の取付け、杁ヶ池(Irigaike)の水質改善などの活動をされている駒村和廣さんにお話しを伺いました。駒村さんが、いつどのように杁ヶ池公園と出会っていったのか。それは杁ヶ池公園の歴史と駒村和廣さんの花に関わる人生がクロスした地点からはじまります。

2005年に開催された愛知万博(愛・地球博)開催の前年、駒村さんは長久手福祉施設・長久手温泉「ござらっせ」で「花の会」を発足させ、皆で花壇をつくっています。
その数ヶ月後、翌年開催される長久手市から愛地球博を訪れたお客様を花でもてなそうと、花の講習会を開き、リニモの駅のホームや各駐車場などに花のプランターをつくって飾りつけています。

万博閉幕後に、万博を花で盛り上げた180人程のチームを、ボランティア団体NEXPO(長久手・万博継承会)が生まれています(石川文三氏たちと共に)。

愛地球博閉会の後、駒村さんたちは長久手市リニモの駅「はなみずき通り駅」前の広場の「はなみずき広場」と「くすのき広場」では、花植えと水やりを実施。

愛地球博の閉幕後に生まれたボランティア団体「NEXPO :(長久手・万博継承会)」には、環境部、美化部、リニモ部、イベント部があった。駒村さんは途中から誘われ美化部の美化部長として活動をしていました。1年後に副代表となります。そんな活動の中、杁ヶ池公園で何かできないかとの話しがでて、裸地が多く土が雨で池に流れ込んでいたため植樹をしようということになったといいます。それが駒村さんと杁ヶ池公園との現在に通じる出会いとなっていきました。

to be continued 続きます

この記事を書いた人
1960年 長久手生まれ。上郷保育園、長久手小学校、長久手中学校へ。菊里高校、青山学院大学英米文学科卒。英字新聞部「青山トロージャン」所属。編集プロダクションのMatsuoka & Associatesにて学び、編集工学研究所入所。 1990年、洋書写真集・美術書をリースするArt Bird Books設立、1992年中目黒駅前に店舗を構える。2009年から代官山蔦屋書店にて主に写真集のブックコンシェルジェとして勤務。2020年、Uターンで地元長久手に戻る。 『Canon Photo Circle』誌の写真集コラムを1年間連載後、「長久手タイムズ」を始動。

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