色金山歴史公園の南側、県道脇の樹木の伐採と除草が行なわれました。元々、県道215号・田籾(たもみ)名古屋線の中でも、岩作安昌寺から熊張真行田の間の200m程の曲がりくねった道路は危険な道路として知られてます。過去に重大事故が何度もありました。
大降雨や来るべき南海トラフ地震といった災害による大きな老木の倒木の可能性も予測できる程だったので、崖から迫り出すほどの危険な樹木の伐採は時期を得たものだったと思います。
ただ崖の崩壊を防御しているモルタル・セメントの吹き付けが、とくに東側の部分が割れて崩れていていて、線状降水帯からくる大雨や南海トラフ時には土砂が持ち堪えられず、崖面が崩れる可能性も否定できないと思われます。今回は危険度の高い古木の伐採で終了かもしれませんが、今一度の崖対策も必要かと思う次第。
江戸時代や明治中頃までは、まだこの道は開けておらず、岩作から上郷方面へ出る時は、手前の高根橋(御嶽山の参道)を渡って、御嶽山の麓の香流川沿いを歩いて渡っていたといいます。
2月初旬5日間程かけて倒木の危険がある古木の伐採が実施されました。
岩作御嶽山サイドの対岸の風景と香流川
さすがプロフェッショナルな作業!
道路は全面通行止めにせず、バスも通れば、高い電線もあるなかで、切断した太い木を地上におろします。
大きな古木は、プロの作業員が命綱を体に巻き付け、電動ノコギリで3〜5m程に切断して、クレーンで吊り下ろすという作業が繰り返されました。
通行止めでなく、片側の車線だけクルマが通行できるようにしてあるのでかなり慎重な作業になってました。
この県道はバス通りでもあり、瀬戸方面と長久手市内を結ぶ主要な幹線道路なので交通量も多く、通行止めにしての工事は取れなかったと思われます。
色金山南麓の石碑と祠(ほこら)が、崖の下から姿を現しました!
雑草にほぼ埋もれていた小洞と石碑が出現しました。
危険な古木は取り除かれたものの、洞の上一帯の昔吹いたモルタル・セメントが劣化し浸水しやすく、大雨や災害時に崩れそうである。
崖面の対策は、<倒木の危険を除去する>工事ということで、今回の工事に入っていなかったかもしれない。直に見ると特にこの東側の部分がちょっと気になるところです。
新しめの石碑には「ここは やざこか 安昌寺よこか むかしじゃのでた いのはない」とあった。後半の意味がどうも分からないのであった。
明治20年に建てられた石碑
崖の対面の風景と香流川