猛暑日がつづき頭も体もぐったり、戸外は暑くて出歩けないという方も多いかと思いますが、となりの日進市にある「菊水の滝」は体感温度10度は下がること請け合い。ほんと身も心も涼しくなります。ここは岩崎御嶽神社の霊場の一つ(御嶽溝の修行僧が滝に打たれた)で、12mの落差があるこの滝は、江戸時代にはこの界隈の名所の一つになっていた。
霊場でもあった「菊水の滝」は、「異界」といってもいいほど日常と隔てられている。
長久手に「異界」と言える場所はあって、「岩作の御嶽山」(神社の奥の急坂の上に建つ古い社や墓地は霊界につながっていよう)や、「北熊の神明社」(助六古墳群もある)のある薄暗い森あたりがすぐ思い浮かぶ。都市化され環境すべてがフラットになっていくなかで、「異界」の存在は人々の心の空洞化、空無化を押しとどめているといえよう。
”ひんやり”とする感覚は、まだ自分たちが奥深いところで見えない何かとつながっている証拠なのだろう。怪談話が暑くて寝苦しい真夏に話されてきたのもそんな事情があったのだろうか。
江戸時代には「菊水の滝」は、「岩崎滝」と呼ばれていた。
かなり長い間、木曽の御嶽山信仰の信者が、身を清めるため滝に打たれた。修行場でもあったという。滝の奥に御嶽山(六坊山)がある。
左の絵図は、『尾張名所図絵』の一枚。
『長久手安見之図』など古戦場巡りの絵図にも描かれていた。
画像引用元:菊水の滝 wikipedia
今回訪れた時、滝の手前の手摺りに衣類のようなものがぶら下がっていた。修行僧の衣類ではなさそうで、誰かがここで身を清めるのでなく体を洗っていたのではとふと頭をよぎった。
この「菊水の滝」は雄滝で、水源はこの奥にある三ツ池。雄滝(落差12m)というからには雌滝(落差3m)もあり、県道57号線の反対側にある弁天池近くにある。今回は雌滝の方まで足を伸ばしていない。
滝壺近くには小さな石でできた祠がある。
祠の手前には「岩崎御嶽山八十八ケ所霊場第三番」の立札のある石仏
この深い森の中に滝がある。
後で気づいたが滝の向かい側に「菊水公園」と名付けられた小さな公園があった。
長久手市のすぐ南側、竹の山エリアにある岩崎御嶽山・御嶽神社と岩崎城・歴史記念館などを巡る日進市観光ルート。中央左寄りに弁天池、そして「菊水の滝」が見える。
私は最初、岩崎城の北方近くにこの一帯では見かけることのない滝があると聞いて行けば分かるだろうと、安易な気持ちで出掛けたら30分近く路頭に迷うことになった。前もって地図を見ることもなく出掛けていくと狐につままれたような感覚に陥る。
岩崎御嶽山を巡るルートは地元岩崎町の散策コースとして「平成ふれあいの森」の名称もつけられているが、標高は低い(131m)もののさすが信仰者が多かった御嶽講の霊山、身も心も”ひんやり”となる散歩コースである。
「菊水公園」より北側を臨む。かつてはこのテーブルに着いて森の方角を望むと目の前に「菊水の滝」が見えたに違いない。
それとも滝の音を楽しむ場所だったのだろうか。今は近くの県道57号線を走るクルマの台数が多すぎて滝の音はかなりかき消されてしまう。
「菊水の滝」から50m程、右手にお助け穴不動へ辿る石階段が。奥は薄暗く、どうしようかと躊躇しましたがここまで来たのだからと勇気を振り絞って上がっていきました。
午後3時くらいですが陽光はあまり差してきません。それにつれて体感温度も下がっていくような気が、、。歩を進めると霊場の番号が付いた小さな石仏がこちらを見ているような感覚に陥ります。
「菊水の滝」から続く「岩崎御嶽山八十八ケ所霊場第○番」の立札のある石仏が、、。写真を撮るのも相当躊躇する空気に包まれる。この急坂の薄暗い石階段は、さすがに観光ルートにはなっていない。
長久手の色金山にある30数体の石仏(江戸後期に城東西国三十三観音霊場と定められた頃のもの)がなんとも微笑ましく思えるほどだ。
「お助け穴不動」の出入り口。ようやく戻るとほんとにほっとする。空は青空で晴れ渡っているが、石階段の奥はほんとに暗闇で、夕方でもまだないのに一人では石階段を上りきることはできそうもない。石階段の奥は御嶽神社へ至るのだが。
我こそはと思う方は、「菊水の滝」を巡ってからぜひ挑戦してみて欲しい。
霊山岩崎御嶽神社へ
岩崎御嶽山の頂上に鎮座する御嶽社。万延元年(1860)に夢のお告げを受けた二人の行者が、修行の霊山である木曽御嶽山から御嶽大神を勧請し創建。岩崎御嶽山は木曽の御嶽山から分霊された山の一つです。
長久手にある岩作御嶽山も同じく木曽御嶽山から分霊された山です。