新年初えびす「岩作えびす」の日(1月5日)、石作神社に祀られている檜造り「恵比寿天・大黒天」のニ像が公開されました。ご神体でもあるこのニ像は”秘仏”でもあり、明治初期から公開されることはなかったとのこと。
近年、氏子総代の皆さんの尽力で一年の内「岩作えびす」の日にだけ公開されることになったもの
御開帳は1日だけです。来年の初えびすの日、秘仏を拝ませていただきに石作神社に足をのばすのも良いでしょう
秘仏は「初えびす」の日だけ御開帳される
「石作神社」は、「小牧・長久手の戦い」よりはるかに遡る9世紀(834年)に創設された
現在の岩作のバス通り早稲田交差点近くにあった巨きな自然石に「建麻利根命」という神が降臨鎮座され、それを祀ったと伝わっている
ちなみに古代8世紀の日本には「石作神社」と呼称された神社は5カ所あったとされる。
その内の3カ所が現在の愛知県内にあり長久手市の神社はその一つ
「古事記」の「帝記」には、第11代垂仁天皇の第4皇女が、伊勢神宮の初代斎宮である倭姫命(やまとひめのみこと)であり、岩作の豪族郡司「石作連」が石棺を作り献上した比羽州比売命はその母との記述がある。
長久手の「景行天皇社」の景行天皇は第12代天皇で、その両親神が第11代垂仁天皇で皇后が比羽州比売命である
(画像:「古事記」ウィキペディアより)
岩作の北方、こんもりした小山のなかにある石作神社の境内
祭神は、尾張氏の祖とされる天香山命(あめのかぐやまのみこと)の五世の子孫の石作連(いしづくりのむらじ)の祖
長久手の歴史は、「小牧・長久手の戦い」の戦国時代よりも遥かに古く、古代まで遡ることができる。9世紀に創設されたのが、岩作の北面に鎮座する「石作神社」である
末社として石作神社拝殿の隣に「大黒神 恵比寿 神社」が、平成25年(2013年)に建立された
伊勢神宮第62回式年遷宮奉祝の年を記念しての建立である
毎年1月4日の夕刻から5日まで公開
明治初期から秘蔵とされ公開されることはなかった「恵比寿天・大黒天」
恵比寿天(左)全高30.8cm、大黒天(右)27.8cm
江戸時代の天保9年(1838年)制作
恵比寿様は商売繁盛を祈願する商売の神様 / 大黒様は五穀豊穣を祈願する農業の神様
江戸・天保年間は、日本各地で大飢饉が発生
豪商が米を買い占め一揆が起こり、社会が不安定に
江戸時代晩期の天保年間(1830年代)は、大洪水や冷害など天候不順が6年もの間つづき「天保の大飢饉」(江戸の4大飢饉)があった時代。大飢饉は東北地方だけでなく、全国各地に米不足を引き起こし百姓一揆が頻発。作物が商品化し物価が高騰し貧富の格差が拡大していた頃でした。
奉行所は民衆の要望を聞き入れようとせず、米価格が急激に高騰する今日とどこか似た状況が生じていたようです。
大阪では陽明学者の大塩平八郎が5万冊の書籍や私財を売り資金をつくって立ち上がった「大塩平八郎の乱」がよく知られています。
東海地方でも名古屋城下だけでも1500名の餓死者がでています(全国で125万人が餓死)。ここ石作神社の「恵比寿天・大黒天」も、「天保の大飢饉」が終わる前年につくられたことを考えればおそらく「天保の大飢饉」をなんとか収束させるための祈願からだったと思われます。
秘仏 御開帳
秘仏のご神体 恵比寿天(左)・大黒天(右) 檜(ひのき)造り
(撮影:氏子総代許可)