いよいよ本格的な春到来。ここ数日、日本各地で降雪を記録しましたが尾張地方は寒さのみで雪降らず
2025年1月10日に撮影した色金山歴史公園の雪景色の写真を今回アップします
森閑とした雪の朝。テラスでは「厭離穢土欣求浄土」の幟が静かにはためいていました
2025年、迫り来るであろう日本の大変動、大転換を前の静寂なのか、そしてどこか心が浄化されるような、そんな空気がひたひたと忍び込んでくるようです
真っ白に染まったテラスと櫓
「厭離穢土欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」とは、極楽浄土に往生する(生まれ変わる)ことを心から願い求めること
桶狭間の戦いで敗れた家康(当時は元康)が、故郷岡崎の菩提寺・大樹寺に逃げ込み先祖代々の墓所の前で自害しようとした時にもらい受けた言葉。
大樹寺の登誉上人が、代々平和な国づくりを目指してきた松平家の想いをあなたで断ち切るべきでないと、「厭離穢土・欣求浄土」(浄土宗・源信(942~1017年)の『往生要集』にある言葉)を家康に授け、家康はその後の戦さ場で、「厭離穢土欣求浄土」の八文字の幟を旗印・馬印に掲げていたとされます
茶室方面から床机石広場へと続く道
現在、「進軍のみち」と呼称される道は別ルートになりますが、北側からのルートも古くからあり、当時は抜け道のような道ならぬ道が頂きまで通じていたかもしれません
徳川家康が、真の天下分け目の戦いとなる「長久手合戦」を前に、軍議の際に座ったとされる床机石(しょうぎいし)
腰掛けるには余りにも巨石で、古くからこの頂きにある磐座(いわくら)だったのではないかと推測されています。磐座とは古来より神様をお招きして祭りを行う神座のことをいいます
この色金山の頂きで軍議を開いて後、家康は岩崎城から引き返してくる秀吉方の池田恒興隊や森長可隊と対決するため、兵を進めここより南西方にある御旗山へと布陣します
色金山は、かつて「色嶺」と呼ばれていたようです。江戸時代後期の名所要覧『尾張名所図会』に「色嶺」として一頁使って紹介しています
『尾張名所図会』天保15年(1844年)刊行
(7巻7冊)
尾張八郡の名所・風俗・物産を収録した絵入り地誌として夙に知られ、当地方の基本資料として頻繁に引用されている
初版本は表紙に金箔が散らされた装飾が施されている
中央に巨石の「床机石(しょうぎいし)」(別名:胡牀石)
その向かって左手に「福富親茂の碑」(刻銘:御床机石)宝永3(1706年)
向かって右手に、地元有志の漢文碑(明治43 1910年)が建っている
「福富親茂の碑」:福富親茂は、尾張藩士で円明流の剣術家
尾張藩の御流儀の福沢流に、福富親茂が考案した軍用槍が加えられ、尾張藩藩主を警護する者は必ずこの流派を学ぶことになったという。首塚や勝入塚にも福富親茂が建てた碑や標木があります
色金山の山麓に建つ安昌寺(浄土真宗高田派 [城東西国三十三観音1番札所])。長久手合戦時に戦場に横たわる兵士の亡骸を敵味方関係なく葬ったと伝えられています