今年3月末より愛・地球博記念公園(モリコロパーク)では、「愛・地球博(愛知万博)」開催から20年を記念する「愛・地球博 20祭」の記念イベントが各所で開催されています
20年前ともなればひと昔前、長久手市民でもとくに小中高の若い世代が生まれる前のこと、大阪・関西万博がスタートした映像をメディアで見るなかで、かつてこの長久手の地で愛知万博が開催された実感はまず掴めないでしょう。
そこで「愛・地球博」とはどんな万博だったのか、主に記録写真を少し綴って2回に分けレポートしたいと思います
今回、郷土史研究会会員の荒木英夫氏のご好意とご協力で、当時ファミリーで来場されていた際に撮影された写真をお借りすることができました。愛知万博を体験した方も、記憶の中の愛知万博をしばし甦らしてみてはいかがでしょう
現在もグルーバルループの一部が当時のまま解体されず残されています
現在も多くのイベントが開催されている「大広場」。お祭りに出陣する大きな山車(だし)が幾つも見えます
右奥に見える建物は現在「ジブリの大倉庫」になっています。その左手奥が「魔女の谷エリア」への入口にあたるところです。
「サツキとメイの家」2005年当時 「サツキとメイの家」は「愛・地球博」に併せて設計・建築された。愛知万博閉幕後も現在に至るまで同じ場所で在り続けました
「愛・地球博」公式 EXPOガイドはこちらへ
長久手会場のゲートで接客業務を担当初いていたアクトロイド「みわ」(撮影:加藤) / IMTS(インテリジェント・マルチモード・トランジット・システム)自動運転による隊列走行で走っていたIT技術を駆使した低公害バス
ロシア連邦で発掘されたほぼ完全な形のマンモスの化石が見れるグローバル・ハウス入館整理券(Reservation Ticket 荒木英夫氏所有)
展示の目玉の「冷凍マンモス」の展示があったグローバル・ハウス。
「こいの池」のこの角度からの眺めだと、万博当時と現在とあまり変わらない
現在、左側の建物はスケートリンク、右側は「ジブリの大倉庫」になっている
マンモスの化石(ロシア連邦館) / 愛知万博の目玉展示はこの化石ではなく冷凍マンモスでした
アメリカ館の火星探査機
長久手会場と瀬戸会場を結ぶキッコロ・ゴンドラ(Kiccoro Gondola)
キッコロ・ゴンドラに乗って瀬戸会場へ
瀬戸会場ゲート / 荒木さんの奥さま故荒木怜子さんは万博開幕時、瀬戸会場ゲートで3日間ボランティアをされていました。後にも継続しボランティアをされています
右の画像は最初にボランティアをされた時の「愛・地球博ボランティア用入場許可証」
荒木英夫氏保管の入館整理券
瀬戸会場の一つ「海上広場」
300人が座れる野外劇場などがあり、参加市民による多彩な屋外展示やイベント、ワークショップが連日催された
森の案内人・インタープリターの市原さん / シデコブシの花
長久手日本館へ
今回掲載の写真を撮影した荒木英夫ご夫妻
日本広場 後ろに見えるのはコクマザサの緑化壁で覆われた「長久手日本館」。葉の蒸散作用で周囲を涼しくしていた
「長久手日本館」は竹で編んだケージで包まれた巨大な繭のような独特な外観をしていました
館内は世界初の360°全天球型映像システム「地球の部屋」で、地球の生命力を体感できる映像が楽しめた
愛知の山車(だし)百両とからくり人形
長久手・前熊の津島神社の山車(だし)
愛知県下の山車が居並びます。「あいち山車・からくり総揃え」(EXPOドーム)
長久手町(当時)小中学生徒による「ココロツタエ」の大合唱
フルート奏者プリヴィエさんと琴奏者の中川さんの共演
長久手フィルハーモニー管弦楽団
TOYOTA GROUP EXPO 2005 /. わんぱく宝島、ロボットステーションでステージの司会を担当していたアクトロイド「はるか」
スペイン館 / ポーランド館
愛・地球博記念館(EXPO 2005 MUSEUM)以下撮影:加藤
愛・地球博記念館にはグッズや記念品、当時の展示物が数多く展示されています
館内には中庭や休憩フロアもありゆっくりと観回ることができます