「長久手市の震度」はどこで測定されていのかご存知でしょうか。だいたいイメージできる方もいらっしゃるかと思いますが、具体的にどこだったか記憶にない方も多いかと思います。
「地震速報」は気象庁が出しているので、気象庁が設置した地震計だろうとおもうでしょうが、かつては気象庁は愛知東部と愛知西部に集中的に設置しているだけでした。ひと昔前までは尾張東部には地震計を一つも設置されていませんでした。
その理由として、活断層も濃尾地震(1981)、東南海地震(1944)、三河地震(1945)の大地震の発生地域ではなかったためだろうと推測できます。ただ断層帯としては、屏風山・恵那山断層帯から伸びる猿投山断層帯が市の東部に走っていますし、南海トラフ地震も含めもちろん危険性が低いということはできません。一大事が起これば影響は多岐にわたりますし。
あらためて震度計ひとつからも震災のことを引き続き強く思うようにしたいと感じます。
長久手市の震度計は、気象庁ではなく、愛知県が管理している震度計です。
設置場所:長久手市岩作城の内97番地の一部 地表面標高60m / センサー標高 マイナス149m /掘削長 210m(センサーは地下149mの所に設置されているとのこと)。設置震度は場所、状況、環境によって各所まちまち。
2002年度設置 観測点コード 「N. NGKH」/ 設置緯度35.1842N / 設置経度 137.0474E
阪神・淡路大震災(1995年)前までは、震度は体の感じ方で決定していました。
全国に震度計が新設されていくのは阪神・淡路大震災以降で、観測網が徐々に強化されていったと言います。それまでは人間の体感判断でやっていた(そうだったのか?)ので、時間もかなりかかり人間の判断なので誤差も生じていたといいます。確かに記憶では、昭和時代の各地の震度は計測地点も主要な場所だけで今と比較すれば相当ざっくりしたデータでしたね。
地震計はこの合金製の箱の中に入っているわけではなく、地下149mのところに設置されている。
気象庁59式光学電磁地震計。1990年代半ばまで気象庁の主力機として使用された。
長久手の地震計は2002年度設置なのでこれより高機能な地震計が地下約150mの所に設置されています。
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地震観測計は、その歴史から気象庁、都道府県・地方公共団体、そして国立研究開発法人の防災科学技術研究所の3つの組織によって設置されています。
愛知県は、気象庁が15カ所、地方公共団体101カ所、防災科学技術研究所が10カ所です。上記の「震度観測マップ」を見ると、長久手市は、自治体と防災科学技術研究所とによって設置された比較的珍しいタイプだったようです。
国土交通省管轄の気象庁が設置した地震計は、不思議なことに愛知県東部と西部に集中し(新城、豊橋、田原、岡崎、豊田と、西尾、常滑、愛西、中部国際空港。名古屋市内は千種区のみ)、かつて地震観測計は尾張東部は一カ所もありませんでした。
現在、瀬戸市に1カ所となっていますが別のデータでは地方公共団体設置になっていて諸々歴史的背景があるようです。
気象庁は、現在は、都道府県・地方公共団体の震度計(約2,800カ所)、その後防災科学技術研究所の震度計(約780カ所)を活用し、「地震速報」を短時間で出せるようになってきています。
テレビの「地震速報」などで、「長久手 震度2」とか発生後数分程で各地のデータと共に表示されますが、時に、震度2もあったかなとか、戸建ての家ではまったく感じなかったとか、少し高差があるマンションではやはり揺れたとかそこそこまちまちの体感になります。
東海地方にも極めて大きな災害をもたらすと想定されている南海トラフ地震。その時、長久手市の揺れは概ね震度6弱〜6強が想定されています。
長久手の地下地質はどうなっている?
かつて長久手では亜炭がよく採掘されていたように尾張東部(濃尾平野東端)地下には「東海層群」が100m近く堆積していました。
「東海層群」より地下は、名古屋を中心とした広大な濃尾平野とはまったく異なる地塊が広がっています。下図を確認すると、猿投山の西部の尾張丘陵の地下は(猿投山自体も含む)、1,000m以上ほとんどが花崗岩となっています。
ちなみに長久手温泉「ござらっせ」の掘削作業では、すぐに硬い花崗岩に突き当たり、結局2カ月半以上、1,800m掘削した段階でようやく温泉を掘りあてたとのことです。つまり下図の花崗岩は、さらに深く2,000mほど行っても硬い花崗岩ということが温泉掘削からも分かります。