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長久手の幻の寺・「権道寺」伝説/地名だけが今日まで根強く残る地元の伝承と背景【Nagakute Times】

上郷・北浦 溝之杁辺り

長久手の「幻の寺」権道寺。現在、権道寺の遺構はまったく残っていませんが、古えより(恐らくは戦国時代以前から)この土地一帯を「権道寺」として地元の人々に伝えられています。

戦国時代には権道寺は跡形もなく、現在の長久手大草北部の北浦と瀬戸の菱野との境界の山を「権道寺山」と呼んでいたことが分かります(地元でのその通称は現在も続いている)。その一帯の地名は瀬戸の菱野側では、「字権道路」と呼ばれているとのこと

一昨年のNHK大河ドラマ「北条殿の13人」の終盤、物語の大団円となったのが、木曽川を舞台にした「承久の乱」でした
「承久の乱」は、平安時代の初期の1221年(承久3)、幕府軍と朝廷軍が史上初めて戦った大合戦でした

美濃・尾張一帯を治めていた山田重忠(美濃源氏がルーツ)は、後鳥羽上皇に仕え朝廷軍として参戦。最後は比叡山の僧兵三千余騎を率いて奮戦しますが京都で自刃
瀬戸の山口八幡社は、山田重忠が1223年に創建したと伝わっています

上郷・北浦の郷土史家の中野十四夫氏から大草・永見寺の寺島住職に預けられた出土物の一部

権道寺の遺構があったのではないかと推定される辺りや周辺から多くの土器が発掘されています

出土物のなかには、古墳時代や奈良時代、平安時代の須恵器から江戸時代の瀬戸の陶工がつくった織部焼(江戸時代後期の瀬戸焼きの稀代の名工・加藤春岱-かとうしゅんたい- によるもの)と判明したものがあります(長久手市ちいき文化部生涯学習課山口さんの協力の元、公益財団法人瀬戸市文化振興財団から出土物の鑑定が行われました)

出土品の中では直接、中世の世の権道寺の在りし日の存在を明かすものはありませんでしたが、平安時代の須恵器の破片が出土したように暮らしの営みがあったことは分かっています


一説に権道寺には五重塔があったとも?!



地元の郷土史に造詣が深い大草・永見寺の寺嶌(てらしま)和尚からお話を伺う


永見寺にて権道寺がかつてあった北浦近くの岩廻間(いわばさま)から移されたと伝わる「小五郎松記念碑」

永見寺本尊の「地蔵菩薩立像」は長久手市最古の仏像とされています。「地蔵菩薩立像」は、「承久の乱」のころ消失したため権道寺にあった幾つもの寺仏が近隣諸寺に安置されるようになったと伝わっています


郷土史家・中野十四夫氏の原稿「権道寺の構図」冒頭部分

「永見寺由来記」の中に、「夢の中に菩薩が夢枕に立ち、川辺を清めよ、そうすれば五穀豊穣の利益を授けよう」とのお告げがあったと記されています
その話を疑うことなく民が川辺に行きその泥の中から仏尊像を見つけます
それが永見寺の御本尊になったと伝えられています

香流川 / 権道寺山近くの県道沿いに祀られている御仏像

上郷・北浦  権道寺山より南側にあたる一帯

この記事を書いた人
1960年 長久手生まれ。上郷保育園、長久手小学校、長久手中学校へ。菊里高校、青山学院大学英米文学科卒。英字新聞部「青山トロージャン」所属。編集プロダクションのMatsuoka & Associatesにて学び、編集工学研究所入所。 1990年、洋書写真集・美術書をリースするArt Bird Books設立、1992年中目黒駅前に店舗を構える。2009年から代官山蔦屋書店にて主に写真集のブックコンシェルジェとして勤務。2020年、Uターンで地元長久手に戻る。 『Canon Photo Circle』誌の写真集コラムを1年間連載後、「長久手タイムズ」を始動。 mail address:nagakutetimes@gmail.com

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