パリオリンピック2024(パラリンピックはこれからだが)が閉幕しましたが、セーヌ川がパレードとして効果的に活用演出されていましたが、水質問題は解消はしていなかったようでした。遡る100数十年前、19世紀のセーヌ川には、実際に多くの公共洗濯場としての「洗濯船」がセーヌ川に浮かんでいていました。
パリと言えばもう一つパリ18区モンマルトルの丘の中腹にある「洗濯船」を思い浮かべます。その「洗濯船」は集合アトリエ兼住宅で、ピカソやブラック、モディリアーニにブランクーシらモンマルトルの芸術家や作家、俳優らが活動の拠点としていた場所。
なんと長久手市ににまるで”洗濯船”のような雰囲気を放つ一種異様な建築物が。廃墟と化した建築物を少しばかりレポートします。
巨大な車輪が2階にも付いていて、真下から見上げると空に飛び立たんとしているように見える。
19世紀後半のパリ・セーヌ川に浮かぶ洗濯船。当時セーヌ川で洗濯するのが一般的だっといいます。屋根付きの船は公共洗濯場で、実際「洗濯船」と呼ばれたそうです。「洗濯船」ができる前は、パリ市民は好き勝手な場所で洗濯していたのが日常だったそうです。
衛生面から問題があるとされ、公共洗濯場としての「洗濯船」が衛生的な場所として確保されたとのことです。
どうでしょう。下の長久手の”洗濯船”と似ていないでしょうか?
図書館通り沿いに建つ建物
この図書館通りは今から30数年程前には、尾張旭に通じるこの道がまだ開通していなかったので、開通後それほど時を経ずしてこの独特な2階建ての建物はつくられたとのことです。
この直ぐ近くに住んでいた松本和之氏によると、建物はもちろん洗濯屋でなく、「雑貨屋」さんだっととのこと。この場所に雑貨屋があったことは当時の長久手町民にはあまり知れ渡っていなかったようで、その理由の一つがマニア向けの雑貨屋だったと松本氏は語っています。松本氏によるとこのお店のマスターがZ400FXというバイクに乗っていてバイクの話しで大いに盛り上がったとのことでした。
かなり異国的な雰囲気が漂います。撮影2023年12月
モンマルトルの丘の中腹に建つ集合アトリエ兼住宅だった「洗濯船」。ピカソやブラック、モディリアーニにブランクーシらモンマルトルの芸術家や作家、俳優らが活動の拠点としていた場所として知られています。
画像引用元:wikipedeia
廃墟と化してしまった建物を縦に見ると極度に狭いのが分かる。2階の手前のベランダ状に突き出ている柵だけ異様に長く、当時はいったいどうなっていたのか想像力を掻き立てます。この1階部分にもう一つの大きな輪が見えます。
パリ18区モンマルトルには、多くの画家や作家、俳優、映画監督たちが眠る「モンマルトの墓地」がありますが、なんと長久手のこの”洗濯船”のすぐ裏手にも墓地があります。建物が醸し出す雰囲気から芸術関係の道具類やオブジェなども雑貨と共に置いてあったのではとつい推測してしまいます。
というのもこのすぐ近くに長久手出身で長く長久手に住まわれる前衛芸術家で長久手の画家のリーダー格の五島秀明先生(創炎美術協会代表、長久手美術作家の会員、美術文化協会会員)のアトリエが、半世紀程前からこの界隈にあったからです。私も小学生の頃、五島先生のアトリエに通い油絵を皆で楽しく学ばせていただいた一人でした。
この近くを通ると『失われた時を求めて』(マルセル・プルースト作)に描かれたマドレーヌを紅茶に浸すとその味覚から突如遠い記憶が蘇ってくるのです。
モンマルトル墓地
比較的最近でも、映画監督のフランソワ・トリュフォー、女優ジャンヌ・モロー、歌手のダリダが眠っています。