御旗山は長久手古戦場公園から北西へ約500メートルの場所にあるこんもりと樹木に覆われた小さな山です(標高86メートル)。戦況を見た家康軍が色金山からこの御旗山へと陣を移し、頂上に金扇の馬印を立てました。
それを見た秀吉方の堀秀政が形勢の不利を悟り撤退。援軍要請をしていた秀吉方の池田恒興・森長可勢は完全に分断され両武将とも命を落とします。御旗山は家康公に「勝利」をもたらした記念すべき場所となりました。「国史跡」です。
江戸時代初期(1617年)、御旗山に富士浅間神社が創建された。
御旗山山頂に建てられた記念碑。この辺りに家康公は金扇の馬印を立てた。現在、山頂付近は木々に覆われているため周囲を見渡すことはできません。鬱蒼とした木々のもとに眠る石造りの記念碑や辺りの静けさから当時の気配や空気を感じ取ることができるかもしれません。
頂上から東側へ少し降った場所から東方を見る。左手奥方面に色金山がある。
頂上から少し降った地点から西方を見る。奥の黄色の看板がある大きな建物が商業施設のアピタで。前方の左手方面に血の池が、さらにその奥に鬼武蔵・森長可の最後の地となった塚がある。
手前の黒い樹木は長久手古戦場公園。中央の奥に少しこんもりした黒い小さな山が御旗山。その奥方面が名古屋で、目視はできないが右先方遥か奥が家康公が堀をつくり城を整備した小牧山城がある。商業施設AEON長久手の屋上から西方の眺望。