仏ヶ根公園は、長久手古戦場公園と武蔵塚の北側に広がる住宅街の中にある公園です。その名称からかつては徳川家康と豊臣秀吉の唯一の直接対決があった「長久手合戦の主戦場」になった場所で、実際に1584年4月9日、長久手の戦いの中でも最後の激しい決戦となったのが「仏ヶ根の決戦」でした。
昭和の頃にはこの一帯はまだ宅地化されておらず、近くにあった「仏ヶ根の池」辺りから岩作の古い町並みが眺望できるほどでした。
「仏ヶ根公園」は、合戦当時そのままではないものの、古戦場全体がかなり起伏のある土地柄であり、その様子が公園内に活かされています。子ども達も真っ平らな遊び場よりも丘があり坂になっている空間を楽しんでいるようです。
カラフルなコンビネーション遊具も小高い丘の傾斜をうまく活かして造られています。最後は滑り台になっています。
小さな丘でも子ども達の視線にとっては結構な山で、実際に向こう側は見えず、「空」と高い樹木が背景にあるだけです。
実際になかなかの傾斜で、自転車で掛け上がったり降りて行ったりと、重い思いに遊んでいます。
公園の周りは住宅街で、公園の四隅は背の低い樹木によって遮られています。
戦国時代から、昭和時代まであった「仏ヶ根の池」
引用元:「尾張名所図会デジタル着色」Network 2010.org
中央右寄りに「森武蔵塚」の名称が見えます。その左奥「仏ヶ根」の辺りは、「仏ヶ根の池」の名称が見えます。
今日、坂も多く幾らか丘陵になっている「仏ヶ根」には、その中腹に古くから「仏ヶ根の池」がありました。
仏ヶ根公園よりも南側に、昭和時代に存在していた「仏ヶ根の池」。写真で見る限り桜が池の周囲に植えられていて風情を感じる池だったようです。武蔵塚の住所にある「アトリエkunugi」のほぼ目の前に広がっていた池で、「アトリエkunugi」が武蔵塚に建った当時、目の前の池の向こう側(北側)は住居がまだ全く無く、岩作の商店街や小学校まで見渡せたとのことです。
写真引用元:「長久手市ホームページ – 風景 長久手の民俗資料から見えてきた明治・大正・昭和のながくて」