去る4月9日土曜の桜咲く朝、岩作・安昌寺にて「長久手合戦慰霊祭」が無事に執り行われました
例年は色金山山腹に建つ「長久手合戦慰霊碑」前でよおされていましたが、今年から山麓にある安昌寺本堂にて実施されることになりました
「長久手タイムズ」にて長久手合戦慰霊祭の様子の一部をご報告させて頂きます
ご関心を持たれました方は来年の春、足を運んでみてはいかがでしょう
岩作・安昌寺にて
日本三大桜の一つ岐阜県の「根尾谷淡墨(うすずみ)桜」から1977年に植樹された「淡墨桜二世」。今年も満開に
山号は久岳山。曹洞宗の古刹・安昌寺は、「城東西国三十三観音」の1番札所
長久手合戦において安昌寺の雲山和尚が徳川方・豊臣方の敵味方関係なく落命した侍たちの霊を懇ろに弔らいました。江戸時代に入っても尾張藩主や多くの藩士たちが当寺を訪れ、合戦にまつわる書付を残しています
長久手合戦の翌年、丹羽氏次が田畑を寄付をして寺院を再興したと伝えられています
安昌寺北面にある色金山中腹に建つ「長久手合戦慰霊碑」。昨年まで慰霊祭はこの慰霊碑の前で執り行われていました
「長久手合戦慰霊碑」は、色金山駐車場から「史跡 床机石(ショウギイシ)観音道」を辿ってすぐのところにあります。
色金山の床机石観音道である「進軍の道」や「忍者の道」のあちこちに出くわす石地蔵。全部で30体ほどが静寂の森の中におかれています
色金山麓にある安昌寺本堂へ
参加された一人一人がお線香を手向けられました
笙(しょう)の清らかな響きを奏でる河口功(いさお)さん
長久手市郷土史研究会の吉村直彦会長の挨拶と御礼
安昌寺の「寺紋(じもん)」。「寺門」とは寺固有の紋章