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関東とつながっていた「小牧・長久手の戦い」の”双子の戦い”〜北山清昭氏講演会(記録❶)/長久手合戦の新たな視座/【長久手タイムズ】

歴史講座が開催された「長久手福祉の家」(建物の右半分は、「ござらっせ温泉」)
徳川家康が長久手合戦に向かう前、軍議の際に腰掛けたとされる床机石が山頂にある色金山からわずか500m東にある。

色金山の頂きにある徳川家康が腰掛けたとされる床机石/ 右写真:正面の小高い山が色金山(長久手福祉の家からすぐ西方に見える)

写真:北山清昭氏

現在建設中の古戦場公園のガイダンス施設(2006年春オープン予定)

長久手市郷土史研究会 吉村直彦会長の挨拶

講演が始まる直前のホール内


「本能寺の変」(1582年)から「小牧・長久手の戦い」(1984年)までの2年間の間に、関東で何が起こっていたの、どんな変化が生じていたのかに北川清昭和氏は注目し切り込んでいきます。
『大日本古文書 第三編」の史料にあたり家康や北関東の大名達との手紙のやり取りから、関東に激しく進出していく北条家に対抗する方策が探られています。
導入部として、「清洲会議」以降の体制の従来の捉え方が実態とは異なっていたことについて北山氏は語ります。


「沼尻の戦い」は、近年関東の領国経営を巡って秀吉、家康、北条の関与が明らかになるにつれ、「沼尻の戦い」が「小牧・長久手の戦い」と密接に関係していることが分かりだし注目され始めています。
「沼尻の戦い」は、「小牧・長久手の戦い」と「双子の戦争」であり、「関東版 小牧・長久手の戦い」とも呼ばれることがある。(北山清昭)

本講演前、長久手市郷土史研究会の多岐に渡る活動をまとめた動画が流されました。

この記事を書いた人
1960年 長久手生まれ。上郷保育園、長久手小学校、長久手中学校へ。菊里高校、青山学院大学英米文学科卒。英字新聞部「青山トロージャン」所属。編集プロダクションのMatsuoka & Associatesにて学び、編集工学研究所入所。 1990年、洋書写真集・美術書をリースするArt Bird Books設立、1992年中目黒駅前に店舗を構える。2009年から代官山蔦屋書店にて主に写真集のブックコンシェルジェとして勤務。2020年、Uターンで地元長久手に戻る。 『Canon Photo Circle』誌の写真集コラムを1年間連載後、「長久手タイムズ」を始動。
コメント (5)
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