優美な豊田市美術館も凄いのだが、隣接する地に4月26日についに誕生した「豊田市博物館(TOYOTA CITY MUSEUM)」もこれまた凄かった、と言い放ってしまいます! 豊田市を見下ろす高台(古の「七州城」跡地)に豊田市美術館と空間的に連動させているため、日本でもなかなか見られないかたちの開放的で突き抜けた巨大な文化ゾーンが出現した。
新たな知の集積と編集が、現在進行形で行われているのが伝わってきます。
何が凄かったかは全身でじかに感じ取るのが一番なのですが、「となりの豊田」ということで少しレポートします。
翼のような木造屋根と巨大ガラスが印象的な開放的な建物設計は、建築界のノーベル賞のブリツカー賞受賞した坂茂氏。
メインエントランスには、豊田市産材を用いた見事な列柱と張り出す大屋根がインパクトを生み出していました。
優美かつ悠々たる列柱。豊田市の新たな文化発信拠点のエントランス部。入り口から期待させます。
入口近くには「えんにち空間」があり、「とよはくパートナー」など市民活動に開かれています。この隣にもキッチンカーあり。400円の大きな五平餅が美味しい。
メインエントランスに入ると神明町の挙母祭りの山車(だし)がどーんと置かれていた。隣に最新のトヨタモビリティ。山車の原型は1660年頃まで遡るが現在の山車は明治期に改作されたものとなっている。彫刻や大幕、水引幕は江戸後期のもの。
巨大な山車がすっぽり入ってもこの空間的余裕。
一階のスペースに入るとなんと拡大し印刷された「長篠合戦図屏風」(織田信長・家康連合軍と武田勝頼の武田軍の戦い。1575年)が!
本館の設計者・坂茂氏がウクライナ難民のために考案した「紙の間仕切りシステム」とウクライナの詩人の詩と写真が間仕切りの紙に印刷されてあった。迷路の様に設られた「紙の間仕切りシステム」での企画展示風景。
近くに兜と鎧の貸し出しコーナーがあり子供たちは好きな兜を被って、巨大合戦図屏風の前でポーズを決めて撮影してました。
ループして降りていく通路から。豊田市を表現する独創的なジオラマも相当魅せます。勉強も大事ではあるがガツンとくるものに出会うのが一番!
この角度では見えませんがジオラマには電車も走っています。
昔の尋常小学校の教科書など地域の歴史資料も。
常設展は「とよたの自然と人々の営み」がテーマ。「とよたモノ語り」「とよた記憶トラベル」「とよたたんきゅうラボ」「とよたストーリー」の4コーナーで構成されています。
博物館はその街や土地の記憶の見せ方。編集力・デザイン力がものをいいます
じつのところ長久手市もこの豊田市の博物館の展示物に相当するだけのものを有しているといっても過言ではないでしょう。精密模写の「長久手合戦図屏風」が今年出来上がってきたり、長久手古戦場公園の郷土資料室や個人宅などあちこちの施設などにかなりの歴史文化資産が保管されています。
街や土地の記憶が消失していくと、その土地に住む人々は流出し去ってしまいます。その街の魅力とは、その街ならではの自然や歴史・文化資産や人々の智慧や技術と発想力の集積と編集からくるものだと思います。
とにかく巨大な格子状の展示棚が圧倒的でした。見せ方(魅せ方)一つで、同じ内容の展示でもまったく変貌します。
コンテンツは基本、ベイシックな博物館にあるものがほとんどでしょうから、やはり智恵を集積しデザインマインドや方法を研ぎ澄ませてこそ強くアピールできます。
博物館の建築に用いられた地域材について / 豊田市の各地域の地質でみられる岩石のこと
豊田市は博物館が数多い。豊田市近代の産業とくらし発見館からトヨタ鞍ケ池記念館、民芸館、郷土資料館に三州足助屋敷など10ヶ所を数える。それぞれの博物館で培ってきた展示方法なども参照されているかもしれない。
実際には、運営コンセプトの「市民とともにつくり続ける博物館」のもと、博物館と継続的に関わっていく個人・団体を登録する「とよはくパートナー」を制定して進めてきた。展示設計・施工は(株)丹青社が担当。
「松平氏由緒」 徳川家康の故郷「松平郷」(徳川300円nの歴史の礎となった松平8代の歴史がはじまった場所)は、岡崎市ではなく、ここ豊田市松平町にあります。豊田市街からも予想以上に近場です。
床下を活用した展示が見事。数千年前のクスノキの根っこに、秋葉遺跡の竪穴建物にあった縄文時代の石囲炉。
広々とした2階には、とよはくならではのグッズやミュージアムカフェ(坂茂建築の特徴でもある紙管を使った椅子とテーブル)などを設置。キッズスペースや図書コーナーもあり、とくに子供連れのファミリーや、美術館はまだ足が向かない好奇心いっぱいの子供たちはこちらの博物館で楽しめる。