長久手には、コメダ珈琲店やスターバックス、元町珈琲、神戸屋珈琲、カフェヨシノなどコーヒーチェーン店も多くありますが、昔からつづく独立国のような喫茶店も数は少なくなるなか、地元の人々の憩いの場所になっています。
長久手市役所のから長久手田籾道を西に500m程行ったところにある「I.C.スズキ」は、その中でも異色の歴史がある喫茶店です。じつは名古屋の珈琲文化を珈琲豆卸し業で支えたイトウ珈琲商会の”系列”店として、別のエリアで創業した後に長久手の岩作に移転してきたのでした。
「I.C.」はイトウ珈琲の頭文字で、愛知県内に20店舗程ありましたが現在まで半世紀近く営業を続けているのは「I.C.スズキ」だけになっているようです。
「I.C.S. = I.C.スズキ」というちょっと風変わりな店名には、名古屋と長久手の喫茶文化の歴史の一端の物語があります。
「I.C.S. = I.C.スズキ」というちょっと風変わりな店名は、歴史を辿ると「なるほど!」と分かります。
「I.C.」は、「イトウコーヒー」の「チェーン店」の略でした。かつて名古屋を中心に業務用コーヒーを卸していた「イトウ珈琲商会」が、珈琲仲間たち20名程が、「イトウ珈琲商会」の”系列店”を一緒につくろうということになり、名古屋や尾張エリアにそれぞれ出店したすべての珈琲店の店名に「I.S.」を付けたのでした。「I.C. セト」(瀬戸市)、「I.C. チアキ」(一宮)、「I.C. ヤマザキ」(北区)などです。
「 I.C.スズキ」の前オーナーも含め、躍進中だった「イトウ珈琲商会」の従業員か、何らかのかたちでお仕事に携わっていた方だったかもしれません、と「イトウ珈琲商会」の方に教えていただきました。
「I.C.スズキ」は、70年間、名古屋の喫茶文化を支える「イトウ珈琲商会」の”系列”店
「I.C.スズキ」は、名古屋の東区泉にある「イトウ珈琲商会」の”系列”のお店です。現在も「イトウ珈琲商会」が焙煎した豆が送られてきています。
左の写真は、昨年末に「イトウ珈琲商会」の焙煎場跡地にオープンした「イトウ珈琲喫茶」。隣接して「イトウ珈琲商会」の本社があります。
「イトウ珈琲喫茶」では、焙煎したての珈琲豆からオリジナルカップから抽出器具やコーヒー羊羹、さらには斬新な「豆の自動販売機」もお店の前に設置されています。
(写真は、イトウ珈琲商会サイトより)
店舗のロゴマークのアルファベットの形と白地に緑色は、「I.C.スズキ」店とそっくりですね。
ただし、「イトウ珈琲喫茶室」のビル壁面のロゴ「I C S」は、「イトウコーヒー商会」のそれぞれのワードの頭文字を取ったものとのことです。「S」はもちろん「スズキ」ではなく、「商会」の「S」です。
終戦後わずか6年後の1951年、名古屋の地に「イトウ珈琲商会」は創業しています。
モーニング文化発祥する愛知県で、「イトウ珈琲商会」は、昭和の高度成長期の波に乗るように500以上の卸し先にコーヒーを販売するようになっていきました。
名古屋人、愛知県人の朝に、まさに珈琲はなくてはならないものになっていきました。
(写真は「名古屋情報通」より引用)
名古屋の東区泉に、「イトウ珈琲商会」の新店舗「イトウ珈琲喫茶室」がオープン!
創業は1978年で今から約46年前。創業時は長久手でなく愛知県内を数カ所転々とするなか、長久手の大規模な区画整理事業のことを知り、将来発展するに違いないと考え前店主が長久手の地へと移転してきたとのことです。
昭和なピンク電話にミノルタヴィンテージカメラ
店内は単なるレトロな昭和の色にだけ染め上げられたものでなく、「骨董品」があちこちに置かれたり展示され披露されています。
前オーナーのご主人が、主に瀬戸の骨董市などによく出掛け収集してきたもので、収集後にお店に飾るのもまた趣味だったとのことです。
その骨董好きを知って近所の人たちが持ち込んだ骨董品も一緒に飾ってあるとのこと。
ピンクの時代もののソファー。昭和の喫茶店がそっくりそのままここにあります。
前店主(12年余り前にお亡くなりに)が大事にしていた漫画本の棚。
店内に流れるのはタンゴやボザノバ、ハワイアンなど。60~80年代へとタイムスリップさせてくれます。昭和なレトロな独特空間に不思議と馴染むサウンドが出迎えてくれます。以前モーニングで訪れた時は、朝なのに、懐かしい「城達也のジェットストリーム」が流されていました。
大きな傘のある電球が室内の柔らかく落ち着いた光と空気をつくり出しています。