床机石のある頂上を辿ると木板で敷き詰められた広いテラスと櫓が見えてきます。方角は南西側が開けていて、長久手の街並みが望めます。大型商業施設アピタの看板がすぐ目に入りますが、その手前が最も激しい長久手合戦があった一帯です。
家康はこの色金山で軍議を開いて後、岩崎城から引き返してくる秀吉方の池田隊や森長可隊と対決するため、兵を進め、西方に見えるこんもりした森の山の御旗山に布陣します。
「厭離穢土 欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど」とは、大河ドラマ「どうする家康」で「桶狭間の合戦」後に元康(家康)が辛くも逃げ込んだ大樹寺で、住職が自死を覚悟した家康を諭した言葉だという逸話が残されています。
「穢れた現世を逃れ清らかな仏の国(あの世)に生まれることを望む」という仏の教えを説いたもの。「穢土」=戦国の世、浄土=平和な世ですね。家康はその後、平和な世をつくり出すためにこの「厭離穢土 欣求浄土」を旗印に挙げたと言われています。
色金山より家康が見ていたであろう当時の景色のあり様が描かれています。当時すでに建てられていた影行天皇社、長久手城跡などが、「尾張名所図会」を参考に描かれています。
「家康軍議の図」1996年 夢童由里子 作 床机石から展望し、軍議を寝る家康の姿。テラスの下側にまわると大きな2つの作品を見ることができます。