長久手市には、居住エリアがまったく異なると、長年住んでられる方でも他のエリアにある公園のことはほぼ知らないことも多いかと思います。「文化の家」や「中央図書館」のすぐ近くにある「野田農公園」もまたその一つでしょう。
この一帯は、1993年からはじまった「図書館通り周辺地区」の都市景観整備モデル事業として整備されました。それまで「野田農」はその名の如く、埋め立てられることになる「野田農池」から水を引いた水田が広がっていました。「野田農公園」は、周囲に広がる野田農エリアの宅地とセットで1990年代に新住民のために新しくできた小さな公園です
図書館通りの反対側に「長久手市中央図書館」、ボール遊びも水遊びもできる広い「桧が根公園」があるため、この公園に子供たちがグループや家族連れで遊びにくる姿はあまり見かけません。おそらく近所の子供たちが一人黙然と、二人でのんびり遊ぶのに適した公園のようです。こうした住宅地横にある公園は狭いながら都会にはない贅沢な空間かもしれません
そんな「野田農公園」を少しだけレポートしてみました
この公園の西側辺りにこのエリアでは最も高い「高根山(高ヶ根)」(海抜87m)がありました。推定で20mほど山が崩されて高台の宅地に生まれ変わっています
この公園も斜面を効果的に使った公園で、斜面の上から滑り台で降りるようになっています
この公園では遊具の数と同じくらいの数の背の高い樹木が植えられています
1981年の野田農地区一帯の様子
田畑が広がっているだけで、まだ図書館通りは造道されていないのが分かります。当然、まだ「文化の家」も「中央図書館」もありません
青色の印が「野田農池」で、そこそこ広い池(ため池)だったことが分かります
図書館通りは「野田農池」に少し端がかかるかかからないくらいだったようで、おそらくは駐車場の辺りと池の一部が「野田農公園」になったのではと推測されます
またこの地図から公園の西側、現在住宅地になっているエリアはこの一帯では最も高い丘(標高87.7m)があったことも分かります
出典:「長久手町史 資料編1」 「長久手町全図(昭和56年)」より
1978年当時の野田農池の写真
写真は池の南側から北方(現在「文化の家」がある方面)を望む。いったいどの様に池があったのか現在からはもはや想像がつかない
出典:「長久手の地名 1」小林元 著 平成元年発行 長久手町
野田農公園もそうであるが、長久手市の公園は木立が美しい
1960年(昭和35年)当時は、「文化の家」や「中央図書館」はもちろん、「図書館通り」の影も形もありません。
斜面に広がるのは丘陵と田畑、雑木林と野田農池でした。
水田は野田農池から水が引かれていました。「ノタノ田」という名の水田だったといいます
出典:「長久手の地名 1」小林元 著 平成元年発行 長久手町
野田農公園に接するようにすぐ北側にあるのは「文化の家」。
1998年に開館した「文化の家」は昨年末から1年半にわたる長期改修工事(休館)に入った
周りは背丈の低い樹木で囲まれています
この小ぶりな公園には複合遊具はなく、鉄棒や変わったシーソーと滑り台、鉄棒がメインになっている
奥に「長久手中央図書館」の時計塔が見える