現在、トヨタ博物館の企画展(文化館)で、「クラウン70周年記念展」が開催されています(2025年8月3日まで)
最新モデルが16代目ということで、それはまるで名歌舞伎役者が名跡(みょうぜき)を受け継いで襲名しているかのようです
歴史的に見ればトヨタ自動車が今年創立75周年なので、70周年となるとほぼトヨタの歴史に相当する期間と言えます
イノベーションする「クラウン」とはトヨタにとってどんな存在であり続けたのか、なぜクラウンは今日に至るまで命脈を保っているのか。この企画展を機会に一度たどってみたく思いました
トヨタ博物館から西方を望む 中央にイオンモール長久手と長久手市街。最奥に名古屋市街
初代トヨペットクラウン Model RS-L型 1958年
日本初のオートマチックトランスミッションが採用された
この時に、乗用車専用工場としての「元町工場」が立ち上げられています
本館に鎮座する最初の純国産車トヨペットクラウン Model RS 1955年(主査・中村健也)愛称:観音開きのクラウン
今回のイベントがクラウン70周年記念展示であるのもここからはじまったため。あらゆる意味において「国産車のモータリゼーションの出発点」となった記念すべきクルマとして位置づけられ、トヨタ最初の本格的な量産乗用車の嚆矢である
初代「クラウン」の開発責任者、主査・中村健也氏の開発秘話、開発魂などを紹介するYoutube。トヨタイムズ ニュースから紹介
初代から7年後にモデルチェンジした2代目 Model RS41型
高度経済成長期のマイカー時代、そして高級セダン市場に投入するモデルとしてシルエットを一新
フロントグリルに王冠エンブレム(11代目まで続く)を掲げ、2代目にして高級車の地位を確立するまでに
初代の反省点として高速安定性の向上が目指され、開発を通して主査の人材育成が行われていった
1960年代〜70年代、長久手小学校の社会見学で訪れた元町工場
1959年秋に完成した豊田市にある元町工場。
ボディー、塗装、内張・総組立工場が始動した。
生産車種は、クラウンと新型コロナだった
生産規模は月5000台で5年後には10倍の5万台の月産が可能となる拡張がすでに予定されていた
1960年代後半〜70年代の長久手小学校の5、6年生の社会見学には、この元町工場も組み込まれていました
そうした体験も活きて後に長久手からトヨタやその関連企業に就職する者も多く育ちました
画像:サイト「トヨタ自動車75年史」より
4代目クラウン MS60型 1972年 / 5代目クラウン MS85型 1975年
4代目からブランド名がトヨペットから「トヨタ」に。思い起こせば昔はよく「トヨペット」と言っていたものです
70年代、貿易自由化で輸入車に立ち向かえるハイクラスのクルマが求められ、新たな客層を掴むためイメージを大胆に一新
が、”クジラクラウン”と呼ばれたスタイリングは不評で、4代目から「革新への挑戦」と「お客様の期待」の両立に開発者は常に悩み続けることに
5代目は再び直線基調で重厚感あるスタイリングに
6代目クラウン セダンMS112型 1980年
先代で確立された「クラウンらしさ」を継承しつつも、フルモデルチェンジで直線的スタイリングへとさらに洗練
高級車クラウンがより重厚感を醸し出しステータス化された
エレクトロニクス技術が採用され、新世代エンジンなど今日のトヨタの技術力に対するユーザーの認識を高めた
1970年代、長久手南部を東西に貫通した猿投グリーンロード(開通1972年)写真:荒木英夫氏提供(撮影:山田千世子氏 1975年頃)
道路の傾斜と曲がり具合からして杁ヶ池公園交差点かと思われます。交差点角に現在もあるガソリンスタンドが見えます。この新しくできた快適な道路を4代目、5代目、6代目と多くのクラウンが走り出して行きました
70周年記念展では実際に16代までのクラウンを展示。文化館エントランスも含めての拡大展示会場になっています
会期は8月3日まで。機会あればぜひご覧になってみてください。