Connecting the dots of Nagakute City – ジブリと里山、文化と歴史がある長久手のWebメディア

紅葉はじまった「武蔵塚」! 織田信長が名付けた「鬼武蔵」森長可の最期の地から【Nagakute Times】

古戦場通り沿いにある「武蔵塚」。標高77m
長久手合戦の激戦地の多くは丘陵地にあります。「武蔵塚」は北西側が尾根で、その先は石垣となって切り崩されています

入口は北東部側。写真右奥に石碑、供養塔、解説板があります

最も古い石碑は、江戸中期の明和8年(1771)の建立。それ以外は明治期に建立
周囲は1970年代以降、じょじょに造成され住宅地になっていますが、地形の尾根の様子や傾斜は明治の頃と大きく変わっていないとのこと

お椀のように一段と小高くなっている地形 向こう側には住宅街が広がっています

森長可(鬼武蔵)/ 森成利(通称:森蘭丸)- 森長可の弟 『太平記英勇伝』における「森蘭丸長康」(落合芳幾画)

森成利(森 蘭丸)は、長久手合戦の2年前の天正10年(1582年)、織田信長と共に本能寺の変で17歳で討死
森長可は甲州征伐に貢献したとして、美濃・金山(兼山)から信濃・川中島に領地替えとなった折り、7歳年下の弟の森蘭丸が代わりに美濃・金山城を与えられ城主になっています。最も森成利(森蘭丸)はすぐに本能寺の変で討死したたため、再び森長可が城主に


イロハモミジなどに混じってこの一樹だけシダレクレナイ、あるいはノムラモミジか? とても美しいモミジが楽しめます

塚には大きなクスノキ、クヌギ、クチナシ、サザンカ、約20種類ほどの樹木が植えられていいます。春には桜も美しくソメイヨシノやヤマザクラ狩りが楽しめます

かなり年月が経った太い幹は大きく剪定され、若い枝葉が勢いよく出ています

「武蔵塚」がある場所の住所は、長久手市武蔵塚905
地図でも分かるとおり、その一帯の住所自体が「長久手市武蔵塚」です
また少し不思議なことに、長久手古戦場や古戦場公園の住所も「長久手市武蔵塚204」となっています

森長可は、父・森可成を継ぎ美濃・金山(兼山)2代目城主となり、後に岐阜・恵那市の岩村城主、長野市の海津城主もつとめています
長久手には、信長の命を受けて「小牧・長久手の戦い」の5年前の1579年に長久手東部の廃城だった大草城を大改築し、三河の徳川勢に対する防波堤を築いています
長久手の地は、尾張と三河のパワーが競り合い、同時にお互いを押しとどめる最前線の一つでした

「武蔵塚」は、国指定史跡です

この記事を書いた人
1960年 長久手生まれ。上郷保育園、長久手小学校、長久手中学校へ。菊里高校、青山学院大学英米文学科卒。英字新聞部「青山トロージャン」所属。編集プロダクションのMatsuoka & Associatesにて学び、編集工学研究所入所。 1990年、洋書写真集・美術書をリースするArt Bird Books設立、1992年中目黒駅前に店舗を構える。2009年から代官山蔦屋書店にて主に写真集のブックコンシェルジェとして勤務。2020年、Uターンで地元長久手に戻る。 『Canon Photo Circle』誌の写真集コラムを1年間連載後、「長久手タイムズ」を始動。 mail address:nagakutetimes@gmail.com

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です