現在、となりの日進の岩崎城歴史記念館で、特別展「戦国武将 丹羽氏次」が催されています(〜1月25日まで)
岩崎城主・丹羽氏次は、長久手城主の加藤忠景と姻戚関係にあり、「長久手合戦」においても常に名前がでてきます
今回の展示では長久手岩作の安昌寺からも貴重な資料や展示品が供されていますが、雲山和尚が草創した安昌寺を長久手合戦の翌年に、田畑を寄進し安昌寺を再興しています
また丹羽氏次は小牧山から出陣した徳川家康本隊の道案内をし、「長久手合戦」当日には、安昌寺がある色金山の磐座に座り軍議を終えた徳川家康と雲山和尚を色金山の山中の八幡社に案内し祈願しています
さらに関ヶ原の戦いでは、家康の元でまたしても戦功をあげた丹羽氏次は、三河国・伊保(現在の愛知県豊田市)で一万石の大名となっています
ぜひ、今回の企画展で、「丹羽氏次」という戦国武将の貢献と活躍をみてみましょう
「戦国武将 丹羽氏次」という視点を入れると、「小牧・長久手の戦い」もさらに立体的に見えてきます!



企画展開催中の岩崎城歴史記念館(〜1月25日まで)
「小牧・長久手の戦い」では、榊原康政らと徳川別働隊
として先導役となり、「白山林の戦い」で活躍
「関ヶ原の戦い」でも家康方で戦功をあげる
三河国・伊保で1万石の大名になった丹羽氏次

特別展のポスターの絵柄を飾ったのは
『伊保之記録』(寛政4年 1792)
今回の特別企画展で、個人蔵であり古くから門外不出の貴重な資料である「伊保之記録」が初めて展覧会という公の場に展示されました
伊保では丹羽氏次は、町屋の形成に尽力したと伝わっています
氏次は、長久手合戦の前年に家康の家臣となり、小牧山で戦功を上げています
水野忠重、榊原康政、大須賀康高とともに4,500人の徳川別働隊として活動、白山林、長久手方面への移動には先導役をはたしていました
岩崎城の戦いが行われている頃、別働隊として白山林の戦いの奇襲で、羽柴秀次隊を襲撃、壊滅させています
後に家康の元で「関ヶ原の合戦」でも戦功をあげた丹羽氏次は、3,000石加増され三河国・伊保(現在の愛知県豊田市)一万石の大名(伊保藩を立藩)となっています
門外不出として知られている『伊保之記録』(当初織田信長と息子の信忠に仕えた丹羽氏次は、「長篠・設楽原の戦い」(1575年)で鉄砲隊を指揮して戦いました

雄々と聳える岩崎城


特別展を企画した岩崎城歴史記念館学芸員の内貴健太さん
書籍『家康VS秀吉 小牧・長久手の戦いの城跡を歩く』の著者としても知られる
今年6月上旬、氏次・氏重の丹羽兄弟の生涯を著した『戦国武将 丹羽氏次・氏重』が刊行されます
(刊行予定ポスターを本レポートの最後に掲載)
「長篠・設楽原の戦い」で、足軽大将として
鉄砲隊を指揮した丹羽氏次(「長篠日記」)


「尾張半国」を条件に羽柴方につくよう誘った
秀吉の使者の書状を破り捨てた丹羽氏次


宝永6年(1709)、尾張藩士の赤林四郎左衛門は、安昌てらの住職から聞き及んだ事柄を基に記したもの
展示している頁は、赤林四郎左衛門が日進岩崎の村人から聞いた言い伝えなどが記されている


長久手岩作の安昌寺 / 寺紋は丹羽家の家紋の「丹羽扇」
丹羽氏次が田畑を寄進し長久手合戦の翌年に再興した安昌寺
丹羽氏次の位牌が安置されています

丹羽氏次の位牌が納められているのは長久手の安昌寺
位牌には丹羽家の家紋「丹羽扇」があしらわれている
安昌寺の寺紋はその「丹羽扇」である
また右の書状は、丹羽氏次が安昌寺に田畑を寄進した時の寄進状
天正元年1573年、雲山和尚により草創(開山)された安昌寺は、長久手合戦の翌年、天正13年(1585)に岩崎城主の丹羽氏次により再興(創建とも)されています
長久手合戦当日、丹羽氏次は、色金山を出陣する家康と安昌寺雲山和尚を色金山の山の中の八幡社を詣で戦勝を祈願

丹羽氏次が岩作の安昌寺に奉納した「仏涅槃図」

丹羽氏次が安昌寺に奉納した
「仏涅槃図」
長久手合戦から4年後の天正16年(1588)に、安昌寺・泰順和尚に贈られたと伝わっています
同じく、一寸三分の黄金の阿弥陀如来像も贈られたとのことですが、江戸初期の寛文年間(1661~1673年)に失われてしまったといいます
江戸時代、長久手古戦場を訪れる尾張藩士の案内役を務めてきた
長久手村の庄屋の林仁左衛門家に伝わる貴重な記録

「尾州 長久手合戦之図」


「長久手観音像」豊善院蔵
長久手合戦直前、城代・丹羽氏重とともに岩崎城で落命した長久手城主・加藤忠景の守り神だったという
城主忠景が姻戚関係から出陣していた岩崎城で落命した一報を聞き、一族の奥方たちが城の土塁の地中を掘り隠して安置。長久手城も焼失したためその後長く行方不明になっていた観音様です

「勝川の竹」
家康が勝川(春日井市)で甲冑を着用し、長久手で勝利したことから、この時の甲冑が「勝川具足」として徳川家では神器のように扱われたという
また勝川の竹藪で切った竹を使用した旗竿、勝川で集めた川原石なども吉祥の品となった
(提供:龍源山太清寺 春日井市)
天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いで、徳川家康が小牧山から長久手に向かう折、当地の阿弥陀堂で休憩しています
家康が「ここは何という所か」と尋ねたため、庄屋の長谷川甚助が「勝川村にございます」と申し上げたところ、「勝川とな、これは吉祥、縁起のいい名だ」と喜びました」
お寺の前にあった兜の形に似た塚を見て勝ちを確信し、付近の竹やぶで旗竿を切り、全軍に甲冑をつけさせ、出陣したと伝えられています
(春日井市公式サイト)






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