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岩崎城・特別展「戦国武将 丹羽氏次」/徳川別働隊を先導、色金山で軍議を終えた家康を御旗山に案内し、翌年安昌寺を創建したのは岩崎城主・丹羽氏次だった!/となりの日進【Nagakute Times】

企画展開催中の岩崎城歴史記念館(〜1月25日まで)

雄々と聳える岩崎城

特別展を企画した岩崎城歴史記念館学芸員の内貴健太さん
書籍『家康VS秀吉 小牧・長久手の戦いの城跡を歩く』の著者としても知られる
今年6月上旬、氏次・氏重の丹羽兄弟の生涯を著した『戦国武将 丹羽氏次・氏重』が刊行されます
(刊行予定ポスターを本レポートの最後に掲載)

宝永6年(1709)、尾張藩士の赤林四郎左衛門は、安昌てらの住職から聞き及んだ事柄を基に記したもの
展示している頁は、赤林四郎左衛門が日進岩崎の村人から聞いた言い伝えなどが記されている

長久手岩作の安昌寺 / 寺紋は丹羽家の家紋の「丹羽扇」

丹羽氏次の位牌が納められているのは長久手の安昌寺
位牌には丹羽家の家紋「丹羽扇」があしらわれている
安昌寺の寺紋はその「丹羽扇」である

また右の書状は、丹羽氏次が安昌寺に田畑を寄進した時の寄進状
天正元年1573年、雲山和尚により草創(開山)された安昌寺は、長久手合戦の翌年、天正13年(1585)に岩崎城主の丹羽氏次により創建されています


「尾州 長久手合戦之図」

「長久手観音像」豊善院
長久手合戦直前、城代・丹羽氏重とともに岩崎城で落命した長久手城主・加藤忠影の守り神だったという

城主忠景が姻戚関係から出陣していた岩崎城で落命した一報を聞き、一族の奥方たちが城の土塁の地中を掘り隠して安置。長久手城も焼失したためその後長く行方不明になっていた観音様です

この記事を書いた人
1960年 長久手生まれ。上郷保育園、長久手小学校、長久手中学校へ。菊里高校、青山学院大学英米文学科卒。英字新聞部「青山トロージャン」所属。編集プロダクションのMatsuoka & Associatesにて学び、編集工学研究所入所。 1990年、洋書写真集・美術書をリースするArt Bird Books設立、1992年中目黒駅前に店舗を構える。2009年から代官山蔦屋書店にて主に写真集のブックコンシェルジェとして勤務。2020年、Uターンで地元長久手に戻る。 『Canon Photo Circle』誌の写真集コラムを1年間連載後、「長久手タイムズ」を始動。 mail address:nagakutetimes@gmail.com

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