杉の木立の参道の奥に二ノ鳥居がうっすら見えてきます。「神路橋」を渡ると急な石段の向こう側に翼を広げたような拝殿がのぞきます。空気が張りつめ神域にいることを感じます。ここが古墳であったことを知ると鎮守の森の意味も東部の里山の時空もひろがるはずです。小牧・長久手の戦いのあった戦国時代よりもさらに800年程遡った時代へと、長久手の時(Nagakute Times)はつながっています。
奥に見える橋は、リニモの高架橋。その右側にIKEA長久手店の駐車場。神明社の鳥居や拝殿はこの一帯でも珍しく、南向きでなく西向きになっています。
神明社の住所は、「長久手市神門前」。
二ノ鳥居、石段の先に拝殿が姿を現します。
まるで大きな黒い烏の様な入母屋瓦の拝殿が目の前に。
東尾張一帯の神社のほとんどは歴史的に熱田神宮の深い影響圏にありますが、伊勢神宮とのつながりもまた深くあります。
高く積まれた石垣の上の透塀が本殿をぐるりと囲む。
脇参道を上って行くと、社殿の西側に苔むした古い石の階段が、、。
神明社の拝殿の裏側へ。林の中をぐるりと一周することができる。木立の向こうに幾つもの社殿が折り重なっている。江戸時代には、現存する神明社のほか、助六古墳群と神明社古墳群の周りには、山神・大懸神社・斎宮司・御鍬神社・秋葉神社・天王社などが祀られていました。秋葉神社は現在のモリコロパークの大観覧車の麓あたりに在ったと記録されています。
さらにその奥へ。自動車の走る音が聞こえてくる。この崖の下は猿投グリーンロードで、そのすぐ向こう側にはモリコロパークとジブリパークがある場所なのだ。
長久手の北東側にどこからでも見える猿投山(標高628m)の西南域一帯(長久手や瀬戸、豊田市、日進、東郷、名古屋東部地域)は、日本三大古窯の一つ「猿投古窯」が長く存在したエリアです。古窯は1,000箇を超えます。この一帯は古くから(縄文時代まで遡れる)人が住み、古墳群が点在する地域です。このすぐ近くの森の中にも助六古墳群があります。
神明社第2号墳(4号まである。4号墳は本殿脇か真下にある)。横穴式の円墳である。7世紀後半にまで遡るといわれている。かつては石棺があったとされますが現在は失われています。近くの4号墳の石棺は本殿の石垣に用いられているとの調査報告もあります。
ここから丘陵地帯でつながる瀬戸の海上の森にほど近い矢田川流域の古墳は7世紀以前で、神明古墳群など長久手の香流側流域の古墳群はその後になる。このすぐ近くに現在もその地名が残る「石場」があり、矢田川流域の大豪族の一部がこちらに移動してきたのかもしれない。
神明社第2号墳のすぐ脇は、猿投グリーンロードの歩道と道路となっていてまさに剥き出し状態になっている。この歩道を歩く人はほぼなくその存在が気づかれることはない。発掘調査を終えてからのことであるが、円墳の右半分は削り取られている。
上の写真を引きで見た写真。左手がグリーンロードとリニモ。正面がIKEA長久手の青い建物。