安江・長久手店は、「風雅」な美味しさが味わいたくなったら足を向けたくなる手打ち蕎麦屋さん。「食」もまさに「求道」すると、四季折々の「旬の素材」や「自然の恵み」を取り込みつつ、こんな繊細で趣深い味わいをつくりあげるのかと単に食欲を満たす以外の感覚に訴えかけてきます。ゆえに単にニシン蕎麦でなく安江の「とろろニシン蕎麦」を求めてしまうのです。
手打ち蕎麦屋の安江は、とリニモ公園西口駅すぐ近くにある長久手店の他に、名古屋瑞穂区「瑞穂アリーナ」の近くに瑞穂店がある。
蕎麦にいたるまで、自然を目と心に映じながら、自然と同じ位相に入りつつ、五感を整えながら一歩、一歩、、、。
安江・長久手店の店舗は、江戸時代(文化十四年 1817年)に愛知県の奥三河にある設楽町田口に、医家五代平松秀庵氏によって建てられ、伊奈街道において脇本陣や小休本陣として使用されていたとのこと。その後、九代当主の好意でこの地に移築され現在に至っています。
四季折々に飾られる床の間。「平常心」で頂きます。
海老蕎麦。美味い!
座敷席から西側の眺め。枯山水の向こうにリニモとグリーンロード、右端にIKEA長久手店
鴨鍋と手打ち蕎麦セット 両方とも食べたい時
江戸時代、設楽・伊奈街道にあった平松家の大黒柱。樹齢120年の欅(ケヤキ)柱。当時の高度な建築技術が墨跡から見えてきます。
かつてあった様に大黒柱は巨石をくり抜いた上に建っています。
店舗入ってすぐの壁に、お店の看板と共に揚羽(アゲハ)蝶の家紋が。アゲハ蝶の家紋と言えば、長久手の戦いで敗れた秀吉勢の武将・池田勝入(恒興)の家紋である。なぜここに。
その理由は、推測するにこの建物が建てられた伊奈街道は、豊臣秀吉が小牧長久手の戦いの9年後の1593年に開設した街道。池田恒興はもはやこの世に存在しない訳だが、子孫が伊奈街道開設にあたって尽力したのだろうか。あるいはその後の平松家との関係だろうか。
徳川家康は、その後1600年に五街道を設定。この地に木曽街道(中山道)、甲州街道を開いた。そのため元々あった伊奈街道は脇街道に縮小され庶民や商人に利用されるようになったという。