長久手はメキシコと長年、故伊藤高義画伯(2011年84歳で逝去)を通じて人的交流を、そして画伯の作品や民俗芸能作品を通して2つの土地は記憶の中でつながっていたと言ってもいいかも知れません。
「メキシコ美術館」(正式名称:伊藤美術工房・タカヨシメキシコ美術館)では、長久手出身の故伊藤高義画伯自らがメキシコの地で、当初は作品資料として手に入れた様々な民俗芸能の作品を直接目にすることができます。旅をし、頭を狂わせるほど魅了され、もの事に心底没頭する。人生を捧げ燃焼するとはどういうことか。この美術館でその魂の発露にまさに出会うことができます!
取材:加藤正樹 中野淳 メキシコ美術館の連絡先は、Google Mapの下に記します。
伊藤美術工房・タカヨシメキシコ美術館 遠景
「私にとってメキシコの旅は、はじめのうちはサボテンと太陽の国、まつりと闘牛、ソンブレロとマリアッチ、セレナーデと民族衣装など観光旅行の物珍しであったものが、旅を重ねるうちに、メキシコの大地には、私たちの世紀のものとはまるっきり違った古代文明が根をはり、また自由を求めた民族が革命で流した血が染みていて、その生命の本流が、私の頭を狂わせ心を魅了し虜になってしまったことに気づきました」伊藤高義
ルフィーノ・タマヨの「笑う女」(1950年頃)/ アルフレッド・ラモス・マルチネスの「ウィチョール族の男」
伊藤画伯の娘さんの和田小織さん(現在、伊藤美術工房の代表兼講師)にメキシコ美術館ができた経緯からお父様が収集されてきたものの事、美術館の現在の状況、お父様との数々の思い出、また和田さんご本人が長野松本から再び長久手にUターンしてきた事情などたくさんの興味深いお話を伺いました。
上の左のオブジェは伊藤画伯ご本人と思われます。
メキシコの画家が日本を訪れ、メキシコ美術館を訪問した際に、「私の絵がここにある!」と驚いたというように、メキシコの画家にとっても伊藤画伯は特別な存在であり続けていました。
なんとも驚くのが、ここに収蔵されているすべての仮面、人形、作品、オブジェ、陶器類、衣類は、かつて伊藤画伯が必ず自らの手荷物として日本に持ち帰ったものだという。
その多くは作品の資料でもあり、帰国してからは時を忘れて作品制作に没頭し、絵が売れるとまたメキシコへ旅立って行ったといいます。
故・伊藤高義画伯 メキシコ版画101選集「メキシコわが心の旅」より – 掲載版画作品
発行日:2003年11月11日
発行者:伊藤美術工房、伊藤高義
企画:ギャラリー スミ
メキシコ版画100景集『私のメキシコ』(1985年刊)の出版後、メキシコ国立芸術の招待できた、メキシコ市コヨアカンのギャラリーとタコス市の芸術院ギャラリーで展覧会が開催されました。「メキシコと日本の最も良い所を融和した作品」であると多くのメキシコの新聞各紙でお大きく報道されました。
その後、シルクスクリーンの方法をやめ、伊藤画伯独自の自画自刻自刷の「多色刷木版画」に行き着いています。
「まつりの行進する街」Ciudad durante La Procesion 1980 Silkscreen
「献花」Ofrenda de Flores 1983 Silkscreen
「マヤ遺跡への道」 Camino a la Ruina de Maya 2002 木版
「この版画選集は、今までの作品を私の新しい企ての方向によって整理してまとめてみました。101という数字が示すよう、それは”わが恋の終わらざるごとく、この恋も終わることなし”という未完成交響楽でありたいと願っています」伊藤高義
「ラ・マラゲーニャ」 La Malaguena 1983 Silkscreen
「タスコ風景」 Paisaje de Taxco 1993 木版 1993 木版
「ナワ族のケシケミ」 Quexquemitl de Nahua 1984 Silkscreen / 「蜂鳥と果物」Colibri y Frutas 1985 Silkscreen
「ブーゲンビリアの花の下で」 Bajo la Buganvilla 1988 木版
*Map上の表示 伊藤美術工房に「メキシコ美術館」は隣接しています。
館全体の正式名称は、「伊藤美術工房・タカヨシメキシコ美術館」
住所は、伊藤美術工房にご連絡の上、ご確認ください。
訪館電話予約要:090-3565-7902(和田まで 連絡時間 午前10時〜17時)