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[長久手タイムズ]カーカルチャーと触れる時【トヨタ博物館(1)】

長久手市は自動車好きにとって万博のような街です。その中心にあるのが日本と世界の貴重なクラシックカーを間近で見れるトヨタ博物館です。施設は大きくクルマの誕生時から現在までの日米欧の時代を画する名車140台が展示されるクルマ館(レストランもある)と、クルマ関係の出版物から全自動車開発の時間軸が400台のミニチュアで見えてくるミニカーコレクション、ポスター、カーマスコット、自動車玩具、マンガや映画関係の資料などが美しく収蔵された文化館があります。

トヨタ博物館は、昭和時代の最晩期1989年にトヨタ自動車株式会社創立50周年を記念してオープンした博物館です。
長久手の重要な交通機関のリニモ(磁気浮上式リニアモーター)が運行する以前からこの地にあり、市にトヨタ博物館ありと「自動車文化の顔」になっています。

今回、特別にトヨタ博物館の平田雅己さんから様々ななお話を伺いました。以降8回程に分けて自動車文化と歴史の面白さと魅力をお届けしたいと思います。時代を彩った名車や貴重なクラシックカー約140台が展示されるなか、まず自動車の黎明期から展示が始まるクルマ館2階から始まりました。

イスパノ・スイザK6のすぐ脇には、ルネ・ラリックのカーマスコット2点が展示されています。鍋島直泰侯が所蔵していたもの。実際にパネルの写真の様にかつては取り付けられていました。
普段走る際は、純正の金属製マスコットを装着し、目的地に着く直前にラリックのマスコットに取り替えたと伝わっています。それほどお気に入りのものだったそうです。

開発の歴史を知ると興味深くなってきます。少し調べてみる。開発がなぜ1941年だったかというと、そこにはドイツのポーランド侵攻があり、その電撃侵攻作戦を先導したキューベルワーゲンに対抗する緊急の車両開発だったという。

当時のアメリカの自動車メーカーに送付されたジープ開発の要求スペックには、「地雷を踏んで4本のタイヤのうち2本が破裂しても2つのタイヤとスペアタイア1本で300キロ走行可能になるように」とあるほど。ゾンビみたいなクルマです。

平田さんがボンネットを開けてエンジンやボディーのことを説明してくれました。
車両開発の要求スペックには、「車載工具で全ての修理が可能であること」という条件があったそうで、そのための仕掛けについて教えて頂きました。

夜間に移動中にエンジントラブルか何か故障が発生した場合さてどうするか。まずボンネットを開けますが、なんとヘッドライトをひっくり返してエンジンルームを照らしだすことができるんです。両手で迅速にしっかり修理することができるようになっているのです。

よく見れば、ヘッドライトはフロントグリルにつながって配置されています。機能的デザインの一例。ジープの容貌となる縦長のグリルもこのフォードモデルから始まったそうです。

それでは次回へ。

それでは次回へ。

この記事を書いた人
1960年 長久手生まれ。上郷保育園、長久手小学校、長久手中学校へ。菊里高校、青山学院大学英米文学科卒。英字新聞部「青山トロージャン」所属。編集プロダクションのMatsuoka & Associatesにて学び、編集工学研究所入所。 1990年、洋書写真集・美術書をリースするArt Bird Books設立、1992年中目黒駅前に店舗を構える。2009年から代官山蔦屋書店にて主に写真集のブックコンシェルジェとして勤務。2020年、Uターンで地元長久手に戻る。 『Canon Photo Circle』誌の写真集コラムを1年間連載後、「長久手タイムズ」を始動。

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