長久手市にある5つの小学校の校章デザインは、すべて長久手の戦いをベースにしています。長久手合戦だけをみれば明らかに徳川家康が勝利したものですが、校章デザインには秀吉方の武将・池田恒興(勝入)の家紋「アゲハ蝶」が変形して取り込まれています。
その上に徳川家康の家紋「三つ葉葵」がこちらも内と外がひっくりかえされた形でデザインされ、両者が組み合わされています。
尚、中学校の校章は稲穂のデザインです。
長久手市内で最も古い長久手小学校の校章
池田恒興の家紋「アゲハ蝶」
徳川家康の家紋「三つ葉葵」
校章に敗者となった亡き池田恒興と勝者・家康の家紋を重ねたマインドのルーツには、ここ長久手が、両者が合戦した場所であったというだけでなく、色金山の麓にある安昌寺の雲山和尚が、敵味方関係なく合戦で戦死した多くの戦死者の屍を拾い集めて塚を築き手厚く葬ったという歴史もまた重ねられているのではと思われます。
その塚は、国指定史跡となった「首塚」として知られることになります。「首塚」は「尾張名所図会」にも描かれています。
岩作にある安昌寺。徳川家康が大きな石に座って軍議をひらいた色金山がこのすぐ裏手にある。
長久手小学校は、長久手尋常高等小学校として明治39年に創立
写真は昭和32年のもの。
写真は3点とも「長久手小学校沿革史」より
昭和元年(1926年)の長久手小学校
昭和50年の校舎の写真