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尾張徳川旧藩士の開拓移住から生まれた北海道の「木彫り熊」❷/藩主徳川慶勝と北海道探査を任された家老吉田知行(長久手初代村長)のこと【Nagakute Times】


記念すべき北海道の「木彫り熊」第1号は、八雲に移住した尾張藩士・伊藤政雄氏の作品だった
後に旭川にも木彫り熊の制作は広がりますが、八雲こそが木彫り熊の発祥の地とされてきたのはこうした背景があったため
木彫り熊には主に軽く柔らかく彫刻しやすいシナノキを中心に、イチイ(アイヌ語でオンコ)、クルミ、センノキなどが用いられたようです
開拓地の八雲も原生林が繁茂していたため、厳冬期になると伐採した木材を有効活用することにもまりました

左:徳川慶勝がスイスで見つけ日本に持ち帰った木彫り熊の民芸品
右:尾張藩士・伊藤政雄がスイスの木彫り熊を参考に制作した木彫り熊作品
木彫り熊資料館にて展示 
画像:朝日新聞「2024年8月29日」スイスからやってきた木彫り熊 殿様と住民の思いつながった100年 記事より引用

我が家にもある木彫りの熊 
昭和の世に北海道に旅行に行った人は必ずといっていいほど木彫りの熊を時北海道土産に購入していました
ちなみに八雲の熊は柔和な顔つきの表情で、旭川の熊は荒々しい表情の野生の熊とのこと

農村美術として多彩な「熊彫」作品が生まれました
ポスターの熊彫は、まさに円空の木彫り仏像を彷彿とさせる見事な熊彫です
右上の肖像写真は、第19代尾張徳川家当主の徳川義親
2023年、名古屋の徳川美術館のミュージアムショップでも八雲の木彫り熊が大々的に販売されました
「朝日新聞」記事より-徳川美術館の八雲の木彫り熊グッズ

明治11年(1878)にユーラップ(遊楽部)川下流域の原野に設けられたのが「徳川農場」で、徳川家開墾試験場が設けられています。旧尾張名古屋藩士の移住は明治25年頃まで続きその間に西洋農法が実験的にすすめられ家畜が盛んに導入され、牛馬を使って耕作、米作・畑作を行っていきます

明治40年(1907)からバターを生産してきた八雲町は、北海道近代酪農発祥の地としても知られています
第二次世界大戦後は、八雲の若者は最先端のバター製法を学びにデンマークに赴いています

1992(平成4)年には、八雲の酪農家のお母さんたちが集まり「八雲ハンドメイドの会」を結成。本格的なチーズの製造販売を開始し、手づくりチーズのおいしさや八雲の酪農について広める活動をしています

徳川農場 画像:「北海道開拓倶楽部」サイトより引用

八雲に移住した尾張の旧士族たち 画像:「北海道開拓倶楽部」サイトより引用

【チャンネル桜北海道】
15分30秒後から「尾張藩主による開拓事業と八雲で生まれた木彫り熊」院ついての特集です

→「徳川慶勝撮影写真帖」写真に関心が深く自身も数多くの写真を撮った慶勝撮影の名古屋城の展覧会ポスター

明治10年から旧尾張藩徳川慶勝公が、ユーラップ(遊楽部)川流域に地を定め、<理想郷>を建設するための開拓事業に着手
その7年後、八雲神社は移住者たちの精神的拠り所として社殿が建設され、明治20年、故郷である「熱田神宮」に御分霊願が出願、正式に許可され、八雲神社は全国で唯一の熱田神宮の「分社」となりました
熱田神宮の異例の「分社」にあたっては明治天皇の特別の御計らいによるものと伝えられているとのこと
昭和9年、徳川慶勝公は八雲神社に合祀されました

八雲神社と尾張藩士たち 画像:「北海道開拓倶楽部」サイトより引用


画像:八雲町ホームページより引用

幕末から明治初期にかけての北海道(蝦夷)道中日記は以下の様に14程纏められているとのこと
その全てが蝦夷地調査・現地調査のため開拓御用係や藩から派遣された藩士が公的な報告書として土地の広さ、地質、地形、戸数など現地情報を客観的に纏めているものです
戸田鉷四郎は元士族ではありましたが、後ろ盾がある訳なく一般人の個人的な旅の日記で、書名にも『北海道往復旅行日記』と「旅行日記」であることが明言されています。故に北海道の自然景観や海辺の美しさを挿絵にして残すこともできた訳です

『北海道往復旅行日記』の原本(生原稿)より
戸田鉷四郎(きょうしろう)氏が手書きで描いた絵地図
右上に北海道駒ヶ岳、中央部分が八雲の地にあたっている

小樽港の海岸 汽車のトンネルの景
なぜ戸田鉷四郎が北海道を目指したのか。それは鉷四郎のすぐ上の兄の平川勇記(鍋三郎)が、20歳で同志と共に徳川開墾地となった八雲の地に移住していたためだった

左ページの絵図は、七里ヶ浜 右は江ノ島

戸田鉷四郎の北海道への旅は、長久手から始まり、東海道を徒歩で旅する様子も当時の記録として秀逸である
郷土史の枠を超えた躍動感が伝わってくる明治初期の貴重な資料でもある

当時若干21歳の戸田鉷四郎であったが、その動植物や地誌に至る博物学的な関心は絵となってあらわされています

この記事を書いた人
1960年 長久手生まれ。上郷保育園、長久手小学校、長久手中学校へ。菊里高校、青山学院大学英米文学科卒。英字新聞部「青山トロージャン」所属。編集プロダクションのMatsuoka & Associatesにて学び、編集工学研究所入所。 1990年、洋書写真集・美術書をリースするArt Bird Books設立、1992年中目黒駅前に店舗を構える。2009年から代官山蔦屋書店にて主に写真集のブックコンシェルジェとして勤務。2020年、Uターンで地元長久手に戻る。 『Canon Photo Circle』誌の写真集コラムを1年間連載後、「長久手タイムズ」を始動。 mail address:nagakutetimes@gmail.com
コメント (2)
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