去る10月12日(日)に開催された祭礼「岩作のオマント(岩作警固祭り)」のレポートの後半、石作神社の境内での祭礼です
今年2025年は<愛知県指定無形民俗文化財指定40周年>にあたっています
江戸時代初期より400余年もの悠久の時をつむいできた岩作警固祭りは、今年参加者も増えまさに語り継ぐにふさわしい「岩作のオマント」でした
東切りと西切りの2つの警固隊列が出会った後、石作神社の大鳥居に至る道行の光景は江戸時代のそれを彷彿とさせます
それでは「岩作のオマント」の祭礼レポートの後半を記録として共有致します

東切り警固隊列と西切りが警固隊列が合流後に、石作神社へと向かっていきます


岩作地区では1906年(明治39年)に7分会制が採用され、各分会から一頭づつで7頭の神馬が出されていたといいます(現在は2頭)
神馬の背中に飾る標具(ダシ)は当時の各村固有の様式があり現在まで守られてきています

氏神の石作り神社の大鳥居前での一連の儀式の様子


道行を見守る馬方と石作神社で隊列を待つ神社関係者

儀式が終わると一斉に観客が大鳥居をめがけ境内へのぼっていきます

石作神社の大鳥居をくぐります
石作神社境内で火縄銃の発泡と馬駆けへ

石作神社境内
江戸時代には、各地区の氏神祭り(郷祭り)はその年の農作物の豊凶で判断され、豊作となれば警固祭りとなり、鉄砲隊や棒隊が加わったとのこと。農作物が平年並みのできとなれば曳き馬祭りだけとなり鉄砲隊と棒隊はなかったといいます
石作神社境内の周りで鉄砲が発砲され、飾り馬が登場し馬駆けへ

石作神社の宮司の皆さんが見守ります

警固祭りの見せ場であり醍醐味の一つは勇壮な「馬駆け」です

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