博物館エリアに歩みをすすめると本館以外に目を引く建物に気づかされる。市指定文化財の「旧平川家住宅」の「むかしの家」である。本館のすぐ近くにキノコの様に可愛らしく建ち、本館との動線、またテーマ的な相性も良いため訪れる人はかなり多い。
この博物館の空間的な最大の特徴は、隣接する豊田市美術館と美しい小径でつながり往来できることで、二重、三重にこの一帯の空間的・文化的価値を高めている。
豊田市博物館エリアの一隅に建っているのがこの古民家です。一隅といえどすぐ横から博物館へ辿る大きな階段とつながっていて、博物館の展示品と古民家の在り様はしっかりリンクされていることがその回路からも伺えます。江戸時代中期〜後期に建てられた松平地区の農家の主屋を移築したものです。
博物館の2階から伸びるテラスを50mほど辿ると古民家ゾーンへ。恐らく動線の張りかたがいいのだろう。本館訪問者のかなり割合の方が古民家方面へと歩をすすめる。
構造的には「四つ建」と呼ばれる古式な構造が残されているとのこと。また柱には手斧仕上げの部材が使用されるなど古風な技法が散見されるつくりに。常駐スタッフもおそらく2人おられ企画物や建築構造などを説明されていた。
豊田、日進、長久手のそれぞれの古民家移築
長久手の移築予定の古民家の建築の特徴は「鳥居建て」ですが、この豊田の農家だった平岩家のそれは「四つ建」。日進の庄屋さんだった旧市川家は「鳥居建て」と「四つ建」のミックスでした。隣接する自治体の古民家はおよそこうした建築構造を持っていることが見て取れます。となるとよほど古民家の建築構造の研究に入れ込んでいる人は別として、あとはこの建築的歴史的存在をどう活かすかがテーマになってくるのは必然です。
平岩家の場合、博物館と地続きになっており内容的にもテーマや企画を紐付けて見学することができよう。長久手の移築される予定の古民家の場合、平岩家の様にどこか可愛らしい見栄えのする藁葺き屋根でもなく、ウリがほぼ無いなか、当時の暮らしぶりなどが見えてくる企画力が肝心になってくるだろう。
現在、建設中の新たな歴史ガイダンス施設とどんな動線が引かれるのかも、豊田市博物館のトータルな設計図や設計プロセスの説明を読むと気になるところである。古民家移築の是非は、全体の構想の中の部分でしかなく、全体の見取り図から位置づけられ違和感がなければ成功したも同然であろう。
トヨタの挑戦:南極氷上と月面を走るクルマの研究開発
開館にあたって「むかしの家」では、豊田(挙母)市ゆかりの人物にフォーカスした展示が行われていました。
私も知りませんでしたが、明治45年に南極上陸を果たした日本初の人物である白瀬中尉(軍人であり冒険家だった)は、次女が間借りしていた魚料理の仕出屋の一室で貧窮のなか85歳で死去(挙母。現在の豊田市神明町)。出身は秋田県の当時の出羽国の浄蓮寺の住職の長男として生まれています。
白瀬中尉は晩年細々と暮らした場所、また死去した場所が現在の豊田市ということぐらいで取り立てて豊田市と深い関係はありませんが、それよりも南極観測隊隊長の永田武氏(岡崎生まれ)の父親のルーツが豊田市で、また南極観測隊のその後のチームに豊田自動車の機械・電気技術者が雪上車の開発などで何人も加わっていたことは意味あることだと感じた次第。
現在、トヨタはJAXA(宇宙航空研究開発機構)とともに、国際宇宙探査ミッションになっている月面での有人探査活動に必要な有人走行車(愛称「ルナクルーザー」)を共同開発しているが、そ右した取り組みのルーツが南極大陸上を走る雪上車の開発にあったのではと推測します。
移築された円形古墳。古民家から30mほど離れた場所に設けられている。動線としてしっかりしているので古民家に寄られた方はかなりの割合で覗かれていた。
博物館と美術館が小径でつながる爽快なる文化的空間
博物館の2階部分の広いテラスから南方へ小径を辿る
豊田市博物館(左)と豊田市美術館(右)が隣接するランドスケープデザイン。博物館の建築設計は美術館を起点にした要素も多いとのこと。
豊田市美術館の庭園設計者は、アメリカのランドスケープ・デザイナーのピーター・ウォーカー。豊田市博物館は両館の景観に一体感と統一感をだすため庭園設計を同じピーター・ウォーカーに依頼している。
青空の下、樹木の間を美しい景観のなか行き来できるというなんとも贅沢な空間が誕生した。
樹々の向こうに隣接する豊田市美術館が見えてくる。美術館の建築設計者は名建築家の谷口吉生氏。ニューヨーク近代美術館(MoMA)の増改築計画の設計者としても世界的に知られる。
豊田市美術館は、その垂直性と水平性、採光の美しさで氏の最高傑作とも。坂茂氏設計の博物館と谷口吉生氏設計の美術館が相並び、空間的に一体感を感じさせている。素晴らしい文化的空間が誕生したものだ。